森下 政一(もりした まさかず、1895年明治28年)3月5日 - 1957年3月5日)は、日本政治家参議院議員(2期)。

森下政一
もりした まさかず
生年月日 1895年3月5日
出生地 日本の旗 日本 京都府福知山市
没年月日 (1957-03-05) 1957年3月5日(62歳没)
死没地 日本の旗 日本 大阪府大阪市阿倍野区 大阪市立大学医学部附属病院
出身校 早稲田大学商科卒業
前職 大阪市助役
所属政党国民同志会→)
日本社会党→)
右派社会党
称号 勲三等瑞宝章
正五位

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 2回
在任期間 1947年5月3日 - 1951年3月
1953年5月3日 - 1957年3月5日
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位階正五位勲等は勲三等。

大阪市財務部長、大阪市民信用組合長、大阪市教育会長、日本社会党大阪府支部連合会会長、参議院議員総会副会長を務めた[1]

経歴

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京都府福知山市生まれ。1916年大正5年)- 早稲田大学商科卒業。大学卒業後、米国に留学。

1925年大正14年) 関西大学経済学部で講師、後に教授として財政学や英語経済を教える[2]

1930年昭和5年) 第17回衆議院議員総選挙大阪1区落選(国民同志会)。

1936年(昭和11年) 大阪市助役就任。

1947年(昭和22年) 第1回参議院議員通常選挙大阪府選挙区初当選(日本社会党)。1948年(昭和23年)4月 芦田内閣大蔵政務次官。10月-第2次吉田内閣大蔵政務次官。1950年(昭和25年) 参議院大蔵委員会租税行政に関する小委員長。

1951年(昭和26年)3月 参議院議員辞職。4月-大阪市長選挙落選。1953年(昭和28年)- 第3回参議院議員通常選挙当選(右派社会党)。

1957年(昭和32年) 前年秋に列国議会同盟会議から帰国して以来、体調がすぐれなかったが、参議院議員在任中に、大阪市立大学医学部附属病院で死去、62歳[1]。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[3]

脚注

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  1. ^ a b 第26回国会 参議院 本会議 第12号 昭和32年3月11日
  2. ^ 森下 政一」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E6%A3%AE%E4%B8%8B%20%E6%94%BF%E4%B8%80コトバンクより2023年2月20日閲覧 
  3. ^ 『官報』第9060号153頁 昭和32年3月9日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』(大蔵省印刷局、1990年)