棡原
棡原(ゆずりはら)は、山梨県の最東端に位置する上野原市の地名。鶴川の沿川の古代から所在する棡原は第二次世界大戦後の一時期まで山間部の雑穀や菜食中心の自給的な食生活で、肉食は少なかった[学 1]。これにより旧棡原村は、昭和時代には「長寿村」[学 2]として知られ、往時には山村集落としてにぎわった。
棡原 | |
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棡原の位置 | |
北緯35度40分14秒 東経139度5分22秒 / 北緯35.67056度 東経139.08944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 山梨県 |
市町村 | 上野原市 |
地区 | 棡原地区 |
面積 | |
• 合計 | 26.52 km2 |
人口 | |
• 合計 | 853人 |
• 密度 | 32人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
409-0111[2] |
市外局番 | 0554 (大月MA)[3] |
ナンバープレート | 山梨 |
沿革
編集地理
編集河川
編集行政施設
編集- 上野原市役所棡原出張所
- 上野原市消防署棡原出張所
- 上野原警察署棡原警察官駐在所
- 棡原郵便局(08092) - 一時閉鎖中
- 上野原市立棡原小学校 - 2012年(平成24年)3月31日閉校、上野原市立上野原小学校に統合[上 1]
- 上野原市立棡原中学校 - 2008年(平成20年)3月31日閉校、上野原市立上野原中学校に統合[上 2]
隣接地域
編集名勝、旧跡
編集- 滝
鶴川沿いに所在する。
- 音無の滝- 落差12m(小菅村長作)
- 棡原不動の滝(阿寺沢の滝) - 落差12m(棡原大垣外)
- 向風の滝 - 落差11m(棡原向風)
- 観感滝(西澤の滝-三段の滝) - 上野原市のPRポスターにも使用される滝
- 静感滝
- 寺院
- 東光院
- 威王院
- 観音堂
- 照澤寺
- 日原本光寺
- 瑞光寺
- 蔵雲庵
- 芳外庵
- 地蔵院
- 福寿庵
- 普済庵
- 楞厳庵(りょうげんあん9
- 宝珠庵
- 長泉寺 - 熊倉山登山口
- 神社
- 軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ) - 参道は、古代の武蔵(現檜原村)へ抜ける三国峠道[公 1]であり、現在は熊倉山、三国山、生藤山へのハイキング登山口。
近郊の施設
編集小菅の湯
歴史
編集山と川に恵まれた棡原では、縄文時代早期の遺跡が多く発掘されている。出土品から狩猟生活を営んでいたことから、古代人にとっては豊かな食料を得られた理想郷だった[上 3]。 旧棡原村の入り口にある記念碑には、次のように書かれている。「古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣粗食、耕雲種月の日々を楽しんできた…(中略)…女性は多産且つ母乳豊富、老人は皆天寿を全うしまさに、身士不二(しんどふじ)の桃源郷である」。その関係か、軍刀利神社の第一鳥居の脇には、富士信仰修験道の一形態で、ひときわ大きな浅間大菩薩のな石碑が建っている。古くから村山の浅間(せんげん)神社として修験者が集まり信仰されたようである。
江戸時代
編集江戸時代1624年(寛永元年)には、鶴川の沿川に所在する
昭和の学術調査
編集1950年ころから35年間に渡り、棡原で毎年調査を続けてきた岩手大学教育学部名誉教授・鷹觜テル(1921年-2000年)は、棡原は全国でも珍しく皆記憶力が優れ応答は早く確かで、老人性痴呆の人がいない。動脈硬化が少なく、脳卒中や心筋梗塞になる頻度は極めて低いと報告している[学 3] [学 4]。
1968年(昭和43年)東北大学医学部衛生学名誉教授・近藤正二と古守豊甫は、棡原は全国でも珍しい夫婦そろった長寿村であることを報告した。両博士は、過去30年以上にわたって全国990の町村を実地調査し、長生きの研究を集大成した[学 5]
「ふるさと長寿館」に建つ行幸啓碑
編集1996年(平成8年)4月25日、今上天皇・美智子皇后が行幸[上 3]の折に「ふるさと長寿館」を訪問した[国 2][上 6][公 2]。
バス路線の開通
編集1954年(昭和29年)にかつて陸の孤島であった棡原にも念願のバス交通が開通した[学 3]。
「逆さ仏」
編集1970年ころから長寿の村と全国に知りわたった棡原では、民宿が盛んになり現金収入が多くなって[学 3]、高たんぱく・高脂肪・高カロリー[報 1]と村の食生活・生活様式の急変を受け、健康な70代に対して40代〜50代の中高年層では成人病などが増加し、早死になることが重なり、親が子の葬式を出す「逆さ仏」で[学 6][4]、「長寿村・短命化の教訓」のモデルとなった[報 1][協 1][報 2][上 7][学 7]。
大月駅まで運転開始
編集1986年(昭和61年)11月1日 JR東日本は、快速電車の運転区間は、高尾までだったのを、大月駅まで運転開始された[5]ことなどを受け、下流の桂川流域には団地が造成されるなどの変化があった。都市一極集中政策が続いていたこともあって、住民が人や商店の密集した上野原市の市街地に転居してしまい、住民の高齢化が進んだ。1991年度には、児童数128名、生徒数65名だった[6]
バス路線の大幅減便
編集2006年 当地も過疎化を免れず、唯一の公共交通機関である富士急バスの路線バスも採算悪化などから大幅減便され[7]、学童の送迎にスクールバスが運行されるなど生活に不便が生じている。
交通
編集道路施設
編集- トンネル
- 甲武トンネル
- 棡原トンネル
- 道路
- 上野原あきる野線 - 甲武トンネル見晴台へ経て、笹尾根を貫いて東京都檜原街道に通ずる。
- 山梨県道18号上野原丹波山線 - 上野原あきる野線から分岐する。
- 棡原藤野線 - 上野原あきる野線から分岐する。
- 市道
大垣外 用竹 線
鉄道
編集- 村内には通っていない。中央本線上野原駅からのアクセスとなる。
長寿の村
編集穀菜食の村
編集棡原は山間地にあり、斜面の畑ばかりである。このため穀物とイモ類、豆類、野菜の食事が長寿を生んだという。自米や肉はほとんど食べない[学 8][報 3]。このような麦を中心に据えた穀菜食で、魚肉卵、牛乳、小魚、海藻類控えめ文化で長寿者を輩出した棡原[学 9][報 4]。1938年(昭和13年)に古守豊甫(こもりとよすけ)[学 10]は 棡原小学校の代用教員[上 8]、後に医師として甲府市から棡原に通い、棡原は全国でも珍しく、村人に夫婦揃って長寿者が多いことを発見したのである[学 5]。この功績により1976年(昭和51年)に日本医師会最高優功賞を受賞された[学 4]。
「長寿村棡原」の碑
編集脚注
編集- 報道関係資料
- ^ a b “長寿の里探訪 山梨・棡原 寿命は食べた野菜の量に比例”. 日本食糧新聞社 (1996年7月10日). 2023年7月19日閲覧。
- ^ “知られざるキーワードは“無尽”!? 最強の健康長寿「山梨県」のDNA”. デイリー新潮 (2018年1月28日). 2023年6月15日閲覧。
- ^ “山梨・棡原の長寿は〝穀菜食〞が作った(38)”. ヘルスビジネスオンライン (2023年5月23日). 2023年6月16日閲覧。
- ^ “36年間日本全国を調査してわかった「長寿の12ルール」”. ダイヤモンド オンライン. 2023年7月20日閲覧。
- 学術論文
- ^ 近藤正二「食と健康長寿」『日本老年医学会雑誌』第3巻1Supplement、日本老年医学会、1966年、74-77頁、CRID 1390282680000544000、doi:10.3143/geriatrics.3.1supplement_74、ISSN 03009173、2024年2月29日閲覧。
- ^ 多田健治「我が国の長寿研究と長寿における心理的要因について」(pdf)『明治鍼灸医学』第15巻、明治鍼灸大学、1994年、83-95頁、2023年7月19日閲覧。
- ^ a b c “日本 長寿村 短命村:(参考文献「日本 長寿村 短命村」近藤正二 1991年4月1日 著者 東北大学医学部衛生学名誉教授、「健康長寿 食生活」 鷹嘴テル1996年6月30日 本 泉社 著者 岩手大学教育学部名誉教授、「長寿食 世界探検記」家森幸男 2000年5月20日 講談社 著者 武庫川女子大学教授)” (pdf). ウエルネス・サークル (2015年3月11日). 2023年7月5日閲覧。
- ^ a b “VI. 健康食品管理士になって 利見和夫” (pdf). 日本食品安全協会会誌 第11巻 第2号 (2016年). 2023年12月28日閲覧。
- ^ a b “第18回 山梨県(上野原市)せいだのたまじ”. 日清オイリオグループ株式会社 (2011年8月22日). 2023年7月19日閲覧。
- ^ “健康からの食生活見直し 農林金融2004・9” (pdf). 農林金融 (2004年). 2023年7月28日閲覧。
- ^ “8.「食の主体性」とは? - 腸から健康を考える”. 学校法人三橋学園夏見台幼稚園. 2023年7月20日閲覧。
- ^ “病気と食事” (pdf). バイッパシー協会会報 Vol29 (2013年6月). 2023年12月28日閲覧。
- ^ 「7.日本の長寿村・短命村の食事 - 腸から健康を考える」学校法人三橋学園夏見台幼稚園。2023年7月20日閲覧。
- ^ “長寿村研究の回顧―特にその腸内細菌について―古守豊甫” (pdf). Jstage MHTS Vol.11 No.3 (1984年). 2024年11月9日閲覧。
- 上野原市資料
- ^ “沿革<学校紹介”. 上野原市立上野原小学校公式ホームページ (2024年11月12日). 2024年11月13日閲覧。
- ^ “沿革<学校紹介”. 上野原市立上野原中学校公式ホームページ (2024年11月13日). 2024年11月13日閲覧。
- ^ a b c “長寿の里・棡原…自然が育んだ健康の原点”. 上野原市ふるさと自然観察会. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “発見うえのはら - せいだのたまじ”. 上野原市観光協会 (2016年4月4日). 2024年11月9日閲覧。
- ^ “中井清太夫”. 都留市図書館. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “発見うえのはら - 長寿館”. 上野原市観光協会. 2023年6月14日閲覧。
- ^ 上野原市#長寿
- ^ a b “「長寿村棡原」の碑”. 写真で見る上野 (2006年5月6日). 2024年11月11日閲覧。
- 環境庁・農林水産省関係資料
- ^ <https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/seidano_tamaji_yama_nashi.html 【うちの郷土料理】せいだのたまじ 山梨県] 農林水産省(2021年7月23日閲覧)
- ^ “特集2 ほっとするね。おばあちゃんの懐かしご飯(2)”. 農林水産省 (2013年5月). 2023年6月14日閲覧。
- 公益社団法人資料
- ^ “コース NO.34軍刀利神社から三国峠を越え万六尾根、柏木野/日本武尊ゆかりの茅丸を越え、万六ノ頭へ/”. 公益社団法人 日本山岳会・東京多摩支部 (2016年4月4日). 2023年7月10日閲覧。
- ^ “ふるさと長寿館(ふるさとちょうじゅかん)”. 公益社団法人やまなし観光推進機構 (2021年6月9日). 2023年6月4日閲覧。
- 協会と神社庁、協同組合資料
- ^ “40年前 長寿日本一の村 山梨県棡原村。”. 腸内環境協会 (2016年4月20日). 2023年6月15日閲覧。
外部リンク
編集- 長寿の村 棡原を紹介するための公立ホームページ全3頁 - 上野原市観光協会公式サイト
- 棡原小学校は棡原のお子さんのための公立小中学校 - 上野原市立棡原小学校公式サイト 作詞 秋山春時、作曲 保坂梅芳の校歌に棡原の想いを込めた”ふるさとの遠い歴史を ゆずり葉のゆずり伝えて"と歌詞がある。
- 棡原中学校は棡原のお子さんのための公立中学校 - 上野原市立棡原中学校公式サイト
- 上野原市立ふるさと長寿館 - 公益社団法人やまなし観光推進機構公式サイト
- ふるさと長寿館 - Just another WordPress site
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 19 山梨県