棚橋源太郎

日本の教育者

棚橋 源太郎(たなはし げんたろう、1869年7月16日明治2年6月8日) - 1961年4月3日)は、理科教育指導者、博物館学者。

棚橋 源太郎
誕生 (1869-07-16) 1869年7月16日明治2年6月8日
笠松県本巣郡北方村(現・岐阜県本巣郡北方町
死没 (1961-04-03) 1961年4月3日(91歳没)
職業 教育者
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 高等師範学校博物学科
代表作 『手工科教授書』(1905年)
『新理科教授法』(1913年)
『眼に訴へる教育機関』(1930年)
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経歴

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笠松県本巣郡北方村(現岐阜県本巣郡北方町)出身[1]東京高等師範学校[2]。各県の師範学校教諭、東京高師付属小学校訓導、理科主任。1906年東京高師教授、1910年ドイツアメリカ留学。東京博物館(現国立科学博物館)初代館長となり、博物館事業の普及のために尽力。戦後は日本博物館協会顧問文部省学芸員国家試験委員、立教大学博物館学講師。1958年藍綬褒章受勲。

実物を観察、実験するという直観教授法による理科・郷土科教育を実践した[3]。1962年日本博物館協会により棚橋賞が設置された[4]

家族・親族

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  • 娘婿: 柴山博(鉄道・内務官僚、官選鹿児島県知事
  • 孫: 棚橋泰(運輸官僚)

栄典

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外国勲章佩用允許

著作

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棚橋源太郎
著書
訳書

脚注

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  1. ^ 斎藤修啓 & 鈴木一義 1998
  2. ^ 『官報』第3525号、明治28年4月4日、p.39
  3. ^ ブリタニカ国際大百科事典20世紀日本人名事典
  4. ^ 日本博物館協会
  5. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。

関連文献

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  • 棚橋源太郎氏教育功労記念会編纂 『棚橋源太郎氏と科学教育』 棚橋源太郎氏教育功労記念会、1938年9月
  • 『教育研究』第486号、初等教育研究会、1938年9月
  • 『Mouseion』第5号、立教大学学校・社会教育講座、1960年3月
  • 『博物館研究』第34巻第6号、日本博物館協会、1961年6月
  • 宮本馨太郎編 『棚橋先生の生涯と博物館』 六人社、1962年4月
  • 『棚橋源太郎研究』第1号-第7号、棚橋源太郎先生顕彰・研究会、1991年9月-1992年3月
  • 宮崎惇著 『棚橋源太郎 : 博物館にかけた生涯』 岐阜県博物館友の会、1992年2月、ISBN 4924386014
  • 棚橋源太郎先生顕彰・研究会編 『橋源太郎先生(1869〜1961)研究資料集』 棚橋源太郎先生顕彰・研究会、1992年3月
  • 斎藤修啓、鈴木一義「<研究報告>棚橋源太郎資料について : 棚橋資料目録」『Bulletin of the National Science Museum. Series E, Physical sciences & engineering』第21号、国立科学博物館、1998年、9-57頁、NAID 40005330142 
  • 矢島國雄 「棚橋源太郎」(青木豊、矢島國雄編 『博物館学人物史 上』 雄山閣、2010年7月、ISBN 9784639021193
  • 青木豊 「棚橋源太郎」(青木豊、鷹野光行編 『博物館学史研究事典』 雄山閣、2017年12月、ISBN 9784639024972

関連項目

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外部リンク

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その他の役職
先代
館長事務取扱
中川望
日本赤十字社赤十字博物館長
1942年 - 1946年
次代
館長事務取扱
島津忠承