桜井 能監(さくらい よしたか、1844年7月24日天保15年6月10日〉 - 1898年〈明治31年〉6月4日)は、日本の宮内省官僚。錦鶏間祗候

桜井能監

人物

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明治元年(1868年)、議政官書記任官となり、累進して明治11年、内務権大書記官兼太政官少書記官、明治17年(1884年)、宮内大書記官兼掌典、明治19年(1886年)、宮内書記官補内事課長に任ぜらる。

明治20年(1887年)7月8日、宮内省書記官であった桜井能監は「板垣辞爵問題」で世間が揺れ動く中、板垣退助の滞在先である芝の「金虎館」を訪ね「陛下の叡慮は前日と変わらない」旨を告げ、叙爵に関する宮内省としての最後の説得を行った[1]

明治22年(1889年)、内大臣秘書官、等を歴任。この間、小松宮別当や山階宮別当なども務めた。1897年(明治30年)9月7日に依願退職すると、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[2]

建築家の桜井小太郎は長男。

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 『自由黨史』
  2. ^ 『官報』第4257号、明治30年9月8日。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 正四位勲三等桜井能監特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110599500 
  4. ^ 『官報』第1019号「叙任」1886年11月20日。
  5. ^ 『官報』第1468号「叙任及辞令」1888年5月24日。
  6. ^ 『官報』第4474号「叙任及辞令」1898年6月1日。
  7. ^ 『官報』第570号「賞勲叙任」1885年5月28日。

参考文献

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公職
先代
(新設)
  山階宮別当
1888年 - 1889年
次代
股野琢
先代
三宮義胤
  小松宮別当
1888年 - 1889年
次代
高崎正風