小松宮
明治初期に彰仁親王によって創設された宮家
小松宮(こまつのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。明治時代に存在した。
小松宮家 | |
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家祖 |
小松宮彰仁親王 (伏見宮邦家親王の第 8王子) |
種別 | 皇族(世襲親王家) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
山城国 東京府東京市神田区駿河台南甲賀町 (現:東京都千代田区神田駿河台) 東京府東京市赤坂区溜池葵町 (現:東京都港区虎ノ門) |
著名な人物 | 小松宮彰仁親王 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要
編集慶応3年(1867年)、伏見宮邦家親王の第8王子、彰仁親王は仁和寺門跡となっていたが勅命により復飾(還俗)し、仁和寺宮を名乗る。明治3年(1870年)には東伏見宮と改称する。当初は、明治維新前後に還俗した皇族が名乗った宮号は一代限りとし、二代目以降は臣籍降下する定めだったが、明治14年(1881年)には、東伏見宮は特旨により宮号の世襲が認められ、世襲親王家に加えられた[注釈 1]。翌明治15年(1882年)、仁和寺に因む小松宮に再改称。
彰仁親王には子がいなかったため、明治18年(1885年)、末弟の依仁親王を継嗣とするが、両者の折り合いが悪く、明治36年(1903年)に離縁[注釈 2]。同年、彰仁親王は薨去。甥にあたる北白川宮家の輝久王が臣籍降下、小松侯爵家を創設した上で、祭祀を継承した。
系図
編集邸宅
編集宮邸は駿河台南甲賀町にあった。跡地は1910年(明治43年)に明治大学が借地、1916年(大正5年)に正式に売買契約を結び、明治大学駿河台キャンパスの敷地に含まれている[1]。現在[いつ?]はリバティタワーが建つ。