桜井義起
日本の政治家
桜井 義起(さくらい よしおき、旧字体:櫻井 義起、1849年(嘉永2年6月[1][2]) - 1940年(昭和15年)5月18日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
編集出羽国置賜郡米沢(現・山形県米沢市)に生まれる[1][注釈 1]。大阪府西成、東成、住吉各郡長、徳島県警察部長、徳島県書記官、内務書記官、西成鉄道(株)専務取締役、同社長、北英(資)業務担当社員、大阪自動車(株)社長となる[2]。
1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において大阪8区から無所属で立候補して当選[3]。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙で落選[4]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選[5]。1940年に死去した。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』295頁では「大阪府出身」と記載。
出典
編集参考文献
編集- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。