桜井正信 (陸軍軍人)
桜井 正信(さくらい まさのぶ、1886年(明治19年)7月1日[1] - 1977年(昭和52年)1月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。華北洋灰社長。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等[2]。
桜井 正信 | |
---|---|
生誕 |
1886年7月1日 日本 富山県西礪波郡東蟹谷村 |
死没 | 1977年1月7日(90歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1936年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 | 華北洋灰社長 |
経歴
編集富山県西礪波郡東蟹谷村出身[1][2]。陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第28期卒業卒業[1]。1923年(大正12年)8月、陸軍歩兵少佐に進級し[3]、9月時点で参謀本部附であった[3]。1924年(大正13年)9月時点で歩兵第74連隊大隊長に就任し[4]、1926年(大正15年)2月に近衛歩兵第1連隊附となり、東京商科大学に配属された[5]。1927年(昭和2年)3月からは東京商科大学附属教員養成所服務を兼ね[6]、7月に陸軍歩兵中佐に進級した[6]。1929年(昭和4年)8月、参謀本部附に転じ[7]、1931年(昭和6年)8月に歩兵第21連隊附となった[8]。
1932年(昭和7年)4月、陸軍歩兵大佐進級と同時に浜田連隊区司令官に着任した[9]。1934年(昭和9年)3月に歩兵第76連隊長(第19師団・歩兵第38旅団[10][11])に転じ[9]、1935年(昭和10年)8月に近衛師団司令部附となり[1]、法政大学に配属された[1]。1936年(昭和11年)8月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][9]、8月28日に予備役に編入された[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h 福川 2001, 339頁.
- ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 支那57頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調217頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調213頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調172頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調163頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調138頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調96頁
- ^ a b c 外山 1981, 246頁.
- ^ 外山・森松 1987, 400頁.
- ^ 外山・森松 1987, 401頁.
参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。