桃井原っぱ公園
桃井原っぱ公園(ももいはらっぱこうえん)は、東京都杉並区桃井にある区立公園である。
桃井原っぱ公園 Momoi Harappa Park | |
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桃井原っぱ公園の入口(写真奥のマンションはプロムナード荻窪)
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分類 | 区立公園・防災公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度42分49.2秒 東経139度36分26.6秒 / 北緯35.713667度 東経139.607389度座標: 北緯35度42分49.2秒 東経139度36分26.6秒 / 北緯35.713667度 東経139.607389度 |
面積 | 40,000.00m2[1] |
前身 |
中島飛行機東京工場 日産自動車荻窪工場 桃井原っぱ広場 |
開園 | 2011年4月1日 |
駐車場 | なし |
バリアフリー | だれでもトイレ(バリアフリー公衆トイレ) |
事務所 | 桃井原っぱ公園事務所[2] |
事務所所在地 | 東京都杉並区桃井3丁目8番1号 |
公式サイト | 桃井原っぱ公園 |
概要
編集面積は4haで、杉並区立の公園としては2番目に広い。防災公園として整備されており、平常時は公園として利用されるが、災害時には近隣の警察や消防などと連携して避難拠点として活用される。そのため、公園には防災用の設備が常備されているほか、災害救助用のヘリコプターの離着陸場としても利用されることになっている。
沿革
編集現在当公園がある場所には、1925年(大正14年)に中島飛行機東京工場が開設された。第二次世界大戦後は変遷を経て、1966年(昭和41年)に日産自動車荻窪工場が開設され、宇宙航空事業部の開発・生産拠点となった。
日産自動車荻窪工場は1998年(平成10年)に群馬県富岡市へ移転(現IHIエアロスペース富岡事業所)。日産自動車は1999年(平成11年)10月に日産リバイバルプランを発表して資産売却を進める方針を示し、荻窪工場跡も売却の対象とされた。2000年(平成12年)から跡地の利用計画の検討が行われ、2001年(平成13年)に公園とする都市計画が決定された。日産自動車が跡地の売却にあたって公共性の高い利用を望んだため、杉並区は防災公園と市街地を一体的に整備することとし、事業者として都市基盤整備公団(現都市再生機構)を選定。跡地は2001年(平成13年)3月19日に都市基盤整備公団に譲渡された[3][4]。
2002年(平成14年)12月21日には公園予定地の一部(約3ha)が桃井原っぱ広場として暫定的に開放された。2003年(平成15年)には市街地整備工事が開始され、2005年(平成17年)に竣工。これに伴い、同年12月には桃井原っぱ広場が公園予定地全体に拡張された[5]。2009年(平成21年)には公園の整備工事が開始されて、2011年(平成23年)に桃井原っぱ公園として開園した。
主な施設
編集隣接施設
編集いずれも日産自動車工場跡に設けられた施設。
- 「旧中島飛行機発動機発祥之地」の碑
- プロムナード荻窪(都市再生機構の賃貸マンション)
- ロイヤルパークス荻窪(民間の賃貸マンション)
- in the park 荻窪(民間の分譲マンション)[6]
- シーダ・ウォーク(介護老人保健施設)
- コンビプラザ桃井保育園・コンビプラザ桃井Kids Club(保育所・学童クラブ)
- 日産東京販売荻窪店
- 杉並区立今川保育園
- 今川児童館
ギャラリー
編集-
「旧中島飛行機発動機発祥之地」の碑。工場の跡地の一角にある。
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隣接するプロムナード荻窪の様子。
アクセスなど
編集脚注
編集- ^ 公園調書 平成26年4月1日現在 東京都建設局 87p.
- ^ 桃井原っぱ公園事務所 杉並区
- ^ とみんマネジメントニュース VOL.595 変わる東京地図〈第19回〉 工場跡地の大規模複合開発 とみん経営研究所、2004年8月30日
- ^ 荻窪事業所跡地を譲渡 日産自動車株式会社広報部、2001年3月19日
- ^ 平成17年9月21日都市環境委員会-09月21日-01号 公園緑地課長 P.12
- ^ “〜旧日産自動車荻窪工場跡地9万m2に誕生する杉並区最大規模の複合開発「杉並区桃井三丁目計画」〜分譲街区「in the Park 荻窪」パビリオン完成 来年1月24日(土)より販売活動開始”. 三井不動産、三菱地所、東京建物 (2003年12月9日). 2024年9月16日閲覧。
- ^ 杉並区 桃井原っぱ公園 PORTAL TOKYO 東京ガイド