根津千治

日本の数学者、教育者

根津 千治(ねず せんじ)は日本数学者、大学講師。雑誌「数學研究」「數學倶樂部」の刊行などを行った[1][2]。 明治大学講師理学士[3]。また、中央大学、錦城中学教授[4]

経歴

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新潟県平民に生まれ、1898年に第一高等学校第二部理科を卒業した[5]。第一高等学校では、水泳部だった[6]。 1901年、東京大学理科大学数学科を卒業し[7]、東京帝国大学大学院で理学士として代数学を専攻した[8]。一学年上に刈屋他人次郎がいた[9]。 1902年頃、京都帝国大学で、理工大学の講師を嘱託された[10]。1908年、京都帝国大学数学科を卒業した[11]。1911年、(同級生であった)福原統五郎の記念で、有志の理学士を代表し理科大学にクリストフェールの論文を2冊送った[12]

主な著作

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関連項目

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出典

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  1. ^ 秋山武太郎『幾何学つれづれ草』高岡書店、1919年、154,201,222頁。NDLJP:960292 
  2. ^ 根津, 千治『數學倶樂部 = The mathematical club』帝國數學會、1909年https://ci.nii.ac.jp/ncid/AA12837950 
  3. ^ 『最新全国学校案内』内外出版協会、1911年、215頁。NDLJP:812849 
  4. ^ ボールドウヰン 織戸正満訳 (1913). フェマス物語 : 新訳. 日進堂. p. 2. NDLJP:875346 
  5. ^ 『官報』4506号、大蔵省、1898年7月8日。NDLJP:2947795 
  6. ^ 向陵誌. 第一高等學校寄宿寮. (1913). p. 462. NDLJP:1904349 
  7. ^ 『官報』5406号、大蔵省、1901年7月11日。NDLJP:2948705 
  8. ^ 『官報』5464号、大蔵省、1901年9月17日。NDLJP:2948763 
  9. ^ 東京帝国大学一覧 明治31-32年. 東京帝国大学. (1912). p. 421. NDLJP:813175 
  10. ^ 『官報』5744号、大蔵省、1902年8月26日。NDLJP:2949047 
  11. ^ 『官報』7460号、大蔵省、1908年5月12日。NDLJP:2950807 
  12. ^ 『官報』8383号、大蔵省、1911年6月3日。NDLJP:2951740 
  13. ^ 富田逸二郎 (1913). 高等代数学. 日進堂書店. NDLJP:952183 

参考文献

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外部リンク

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