根来盛重
日本の安土桃山時代~江戸時代前期の武将・僧。江戸幕府旗本。和泉熊取谷郷士中左近の子で、同格霜盛勝養子。根来寺成真院住持(根来衆)。旗本根来氏初代当主
根来 盛重(ねごろ もりしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の僧侶、武将。根来寺成真院住持。根来衆。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 弘治2年(1556年) |
死没 | 寛永18年7月9日(1641年8月15日) |
別名 | 熊取大納言坊、小左次盛繁、中盛政、根来右京進、根来大膳、嘉祥寺右近、北右近 |
戒名 | 紹雲 |
墓所 | 法雲寺(大阪府大阪市)、高野山奥の院 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 旗本根来氏、中氏 |
父母 |
中左近 養父:霜盛勝 |
子 | 盛正 |
略歴
編集和泉熊取谷の郷士の家に生まれ、同郷の霜盛勝の養子となった。幼いころより根来寺に入り、成人してからは成真院の住持となった。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いが起きると、根来寺勢は徳川家康に呼応して大坂城へと攻め上った。盛重は愛染院長算とともに主将として出陣し、蜂須賀家政の家臣山中左平次を討ち取るなど活躍したが、岸和田城の戦いで敗走した。天正13年(1585年)豊臣秀吉の紀州征伐で根来寺は破却されたため、盛重は郷里へと逃れ、程なく根来法師を引き連れて徳川家康を頼り、還俗して根来氏を称するようになった。関ヶ原の戦い、大坂冬の陣に従軍。慶長20年(1615年)からは長算ら根来衆とともに成瀬正一に属して伏見城に入城。同年の大坂夏の陣では天王寺の戦いに参戦した。元和8年(1622年)和泉国の代官となる。寛永2年(1625年)大和宇智郡に750石を与えられた。
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第1069
- 熊取町教育委員会『家記・先代考拠略』昭和60年