栃忠秀昭
栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 2008年1月21日[1])は、山口県山口市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は友景 通忠(ともかげ みちただ)。180cm、133kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、寄り。
経歴
編集防府高校から春日野部屋に入門。1959年5月場所に初土俵。入門当初から将来を期待され、その期待通りに幕下まで負け越し知らずで出世したが、1961年5月に稽古で左膝関節を捻挫して低迷した。怪我が治ってから再び順調に出世し、1965年5月場所に十両昇進。9場所在位したが入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
主な成績
編集- 通算成績:230勝190敗8休 勝率.548
- 十両成績:61勝74敗 勝率.452
- 現役在位:51場所
- 十両在位:9場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:2回(1965年3月場所、1966年3月場所)
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1959年 (昭和34年) |
x | x | (前相撲) | 東序ノ口23枚目 7–1 |
東序二段87枚目 7–1 |
西序二段17枚目 7–1 |
1960年 (昭和35年) |
西三段目77枚目 6–2 |
東三段目44枚目 6–2 |
西三段目16枚目 7–1 |
東幕下73枚目 4–3 |
東幕下61枚目 5–2 |
東幕下50枚目 2–5 |
1961年 (昭和36年) |
東幕下66枚目 3–4 |
東幕下77枚目 4–3 |
東幕下61枚目 2–4–1 |
東幕下79枚目 5–2 |
東幕下62枚目 4–3 |
東幕下59枚目 5–2 |
1962年 (昭和37年) |
西幕下37枚目 3–4 |
西幕下41枚目 4–3 |
西幕下37枚目 3–4 |
東幕下39枚目 5–2 |
西幕下27枚目 3–4 |
東幕下28枚目 5–2 |
1963年 (昭和38年) |
東幕下19枚目 3–4 |
東幕下21枚目 4–3 |
東幕下19枚目 4–3 |
東幕下15枚目 4–3 |
西幕下12枚目 2–5 |
西幕下19枚目 3–4 |
1964年 (昭和39年) |
東幕下21枚目 4–3 |
東幕下15枚目 2–5 |
西幕下25枚目 6–1 |
西幕下9枚目 3–4 |
東幕下12枚目 3–4 |
西幕下15枚目 4–3 |
1965年 (昭和40年) |
西幕下13枚目 3–4 |
東幕下20枚目 優勝 7–0 |
東十両15枚目 7–8 |
東十両18枚目 2–13 |
東幕下8枚目 4–3 |
東幕下5枚目 5–2 |
1966年 (昭和41年) |
西幕下2枚目 2–5 |
西幕下12枚目 優勝 7–0 |
東十両18枚目 8–7 |
西十両16枚目 8–7 |
西十両15枚目 8–7 |
東十両9枚目 5–10 |
1967年 (昭和42年) |
西十両17枚目 8–7 |
東十両14枚目 9–6 |
西十両13枚目 6–9 |
西幕下2枚目 2–5 |
東幕下11枚目 引退 0–0–7 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 友景 通忠(ともかげ みちただ)1959年5月場所 - 1961年11月場所
- 栃忠 秀昭(とちただ ひであき)1962年1月場所 - 1967年9月場所
参考文献
編集- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 栃忠 秀昭 - 相撲レファレンス