柿並幸慶
柿並 幸慶(かきなみ ゆきよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣。父は陶晴賢の側近であった柿並隆正。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 天文13年(1544年) |
死没 | 寛永2年7月8日(1625年8月10日)?[1] |
別名 | 通称:小平太、清左衛門、与三右衛門 |
官位 | 佐渡守 |
主君 | 大内義長→毛利元就→輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 多々良姓大内氏庶流柿並氏 |
父母 | 父:柿並隆正 |
兄弟 | 幸慶、左衛門 |
子 | 慶覚 |
生涯
編集天文13年(1544年)、大内氏庶流の柿並隆正の子として生まれる。
天文24年(1555年)10月1日の厳島の戦いにおいて、父・隆正は陶晴賢に従っていたが戦死したため、その後を継いだ。しかし、その直後に始まった毛利元就の防長経略により、弘治3年(1557年)に大内氏は滅亡。以後、幸慶は毛利氏に仕えることとなり、天正2年(1574年)11月26日に毛利輝元から「佐渡守」の受領名を与えられた。