柳沢保興
柳沢 保興(やなぎさわ やすおき)は、江戸時代後期の大名。郡山藩の第5代藩主。郡山藩柳沢家6代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化12年6月17日(1815年7月23日) |
死没 | 嘉永元年8月21日(1848年9月18日) |
別名 | 信求 |
戒名 | 天寧院鎮山全功大居士 |
墓所 | 東京都新宿区市ヶ谷河田町の月桂寺 |
官位 | 従五位下、従四位下、造酒正、甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 大和国郡山藩主 |
氏族 | 柳沢氏 |
父母 | 父:柳沢保泰、母:野島氏 |
兄弟 | 保興、小笠原長和、光昭 |
妻 | 正室:島津重豪の娘・淑姫 |
子 | 保申 |
文化12年(1815年)6月17日、第4代藩主柳沢保泰の長男として郡山城で生まれる。文政13年(1830年)4月11日に元服し、同年12月16日に従五位下に叙任する。天保9年(1838年)、父の死去で跡を継いだ。弘化2年(1845年)12月16日に従四位下に昇進する。
嘉永元年(1848年)8月21日、江戸幸橋邸で死去した。享年34。跡を三男の保申が継いだ。