柘植文雄
日本の内務・警察官僚
柘植 文雄(つげ ふみお、1895年(明治28年)12月[1] - 1987年(昭和62年)8月[2])は、日本の内務・警察官僚。官選鹿児島県知事。
経歴
編集山形県出身。柘植文弥の長男として生まれる[1]。山形高等学校を卒業[3]。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し社会局属となる[1][3][4]。
以後、北海道・大阪府・広島県・愛知県各勤務、愛知県官房主事兼人事課長、和歌山県学務部長、茨城県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、福岡県部長・警察部長などを歴任[1][4]。
1945年4月21日、鹿児島県知事に就任。防空対策に精通し、城山に壕を掘り県庁分室を設置するなどの対策を実施。第二次世界大戦の終戦にあたり、九州独立論を主張した一方[5]、米軍受入体制の整備などを実施した[4]。同年10月27日、依願免本官となり退官[6]。その後、公職追放となり[3]、福岡で水産会社を経営した[4]。