柏原 太郎左衛門(かしわばら たろうざえもん、1577年 - 1651年)は、江戸時代前期の貿易商。

概要

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小堀遠江守政一の家臣・柏原兵部左衛門の子として、摂津国に生まれる[1]。16歳の時、一門の者と共に、豊臣秀吉が主導した文禄の役加藤清正の家来として参戦する。

後、町人となり熊本城下小川町(現・宇城市)・長崎に「天野屋」という屋号の店を構え商業を営む。1628年寛永5年)、長崎代官末次平蔵オランダの台湾長官ノイツとの間で起きた紛争・高砂事件(タイオワン事件)で活躍する[2]

小川町の繁栄に尽力し、竹崎季長鉄眼禅師とともに 小川の三傑 と称される。墓は、熊本県宇城市小川町、円立寺裏の墓地にある[3]

大正5年(1916年)、従五位を追贈された[4]

出典・脚注

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  1. ^ 津(三重県津市)生まれの説も有り。松本吉郎編『傳記柏原太郎左衛門』郷土資料 小川図書館蔵、1987年
  2. ^ 鈴木喬編『熊本の人物』熊本日日新聞社、1982年、74-75頁
  3. ^ 小川町史編纂委員会『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979年
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.42

参考文献

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  • 角田政治編『肥後人名辞書 全 複刻版』青潮社、1973年、198頁
  • 小川町教友会編集『小川のむかしばなし』小川町教友会、2001年

関連項目

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外部リンク

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