林家 (囲碁)

囲碁の家元四家のひとつ

林家(はやしけ)は、本因坊家安井家井上家と並ぶ、江戸時代囲碁家元四家の一つである。林家は始祖とされる林利玄の弟子の林門入(門入齋)が興した家であるが、他家より立家が遅く、名人も出していない[1]。適当な後継者がいなかったため本因坊家から跡目を迎えたケースも多く、江戸期を通じて弱小勢力であった。明治に入り、十三世の 秀榮本因坊家に戻ってその名跡を継いだため林家は絶家となった。

林家
家祖 林利玄
著名な人物 林門入斎
林文子(喜多文子)
支流、分家 林藤三郎家
凡例 / Category:日本の氏族

林家は初代が門入齋で、二世以降は代々「門入」を名乗った(九世門悦、本因坊家から移った十一世元美、十三世秀栄を除く)。このため跡目時代の名乗りを「門入」の前に加えて表記し、区別することが多い。

歴代当主

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人物

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五世 林因長門入
本因坊道知の弟子であったが、本因坊家から移って林家を継いだ。八段準名人に昇り、名人碁所就位を目指すが、他家の反対にあって断念した。
十一世 林元美
本因坊烈元の弟子であったが、本因坊家から移って林家を継いだ。本因坊丈和の名人就位に協力したが、後に不和となって丈和を引退に追い込む役割を演じた。「碁経衆妙」や「爛柯堂棋話」などの棋書の執筆でも知られる。

分家

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林家の分家林藤三郎の養女林佐野、及びその養女林文子(喜多文子)は、明治時代の女傑として女流棋士の先駆け的活躍をし、同時に多くの女流棋士を育て、今日の興隆に繋がっている。

なお、林佐野の三女の林きくも女流棋士であり、林元美の著作『爛柯堂棋話』をまとめて出版したことでも知られる。

脚注

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  1. ^ 十三世秀栄が明治期に名人になっているが、林家から本因坊家に戻った後のことである。