林家 (儒学者)
日本の儒学者の家系
歴代
編集江戸幕府の儒家として代々任じられた林家と、第二林家の2家があり、いずれも林羅山を始祖としている。なお、林家において大学頭を称したのは3代鳳岡からであり、鳳岡までは僧形であった。
林家(大学頭家)
編集林家 | |
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本姓 | 藤原北家利仁流 |
家祖 | 林信勝 |
種別 |
地下人 平民 |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
江戸 入間県大里郡大幡村 |
著名な人物 | 林羅山 |
支流、分家 | 第二林家(地下人) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
元禄4年(1691年)、鳳岡が任じられた以後の官位は大学頭、これは本来名目的な武家官位で、江戸幕府における役職とは無関係であったが、幕府が建設した湯島聖堂の管理に始まり、当初は林家の家塾であった昌平坂学問所が幕府の機関になると、その長ともなる幕府における役名ともなった。
家禄は慶安元年(1648年)910石が羅山に給されて後、順次、加増があって1500石程度。林述斎の代で大きく加増され、従来は1523石であったものが、3000石と倍増し、座班も奥詰小姓番頭次席(従来は奥詰)に引き上げられた[1]。
第二林家
編集第二林家 | |
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本姓 | 藤原北家利仁流 |
家祖 | 林信勝 |
種別 |
地下人 平民 |
出身地 | 江戸 |
主な根拠地 |
江戸 東京都 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
系図
編集脚注
編集出典
編集- ^ 揖斐 高「寛政異学の禁と学制改革 ─老中松平定信から大学頭林述斎へ─」『日本學士院紀要』第77巻第3号、日本学士院、2023年5月12日、179-219頁、CRID 1390296066525918336、doi:10.2183/tja.77.3_179。