枇杷島橋
名古屋市の橋
枇杷島橋(びわじまばし)は、愛知県名古屋市西区 - 清須市の庄内川に架かる愛知県道67号名古屋祖父江線・愛知県道190号名古屋一宮線の橋で、日本百名橋に選ばれている。
枇杷島橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 愛知県名古屋市西区 - 清須市 |
交差物件 | 庄内川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 愛知県道67号名古屋祖父江線・愛知県道190号名古屋一宮線 |
管理者 | 愛知県 |
開通 | 1956年(昭和31年) |
座標 | 北緯35度11分32秒 東経136度52分3秒 / 北緯35.19222度 東経136.86750度 |
構造諸元 | |
形式 | 桁橋 |
材料 | 鋼・鉄筋コンクリート |
全長 | 177.3 m |
幅 | 11 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
概要
編集今日ある橋は、1956年(昭和31年)に愛知県によって架けられた。左岸はゲルバー式鋼桁橋、右岸は鉄筋コンクリート桁橋になっている。1966年(昭和41年)には両側に歩道が設けられ、その欄干には2種類の二色絵がつけられている。1971年(昭和46年)には国道22号から愛知県道67号名古屋祖父江線・愛知県道190号名古屋一宮線となっている。
歴史
編集1622年、尾張藩主徳川義直によって初めて架けられ、川の中島(1958年(昭和33年)撤去)を間に東の大橋と西の小橋があった。美濃路として人々が行き来したことで橋の両側に市場が開かれた。中島には萩が、堤防には桜が植えられ、特に檜材の2橋は、「結構の善美、人の目を驚かせり(尾張名所図会)」と書かれた。明治時代、小橋は洪水で流され石橋となった(1887年(明治20年))後、コンクリート橋(1927年(昭和2年))になった。大橋は濃尾地震で倒されトラス橋(1912年(明治45年))になった。そして1956年(昭和31年)に1つの橋に改修された。
参考文献
編集- 松村博『日本百名橋』鹿島出版会