板谷広当
板谷 広当(いたや ひろまさ、享保14(1729年)誕生日不明 - 寛政9年8月21日(1797年10月10日))は、日本の江戸時代中期に活躍した、江戸幕府の御用絵師。大和絵の一派・住吉派から別れた板谷派の初代。幼名は広度 (ひろのり)。通称は慶舟、のち桂舟。そのため板谷慶舟(桂舟)とも、名前と合わせて板谷慶舟(桂舟)広当とも呼ばれる。
略伝
編集尼崎藩青山大膳亮の家臣・板谷次郎兵衛の子として生まれる。寛保元年(1741年)13歳から住吉家4代住吉広守に入門。青山氏のもとで寛延4年(1751年)2人扶持、御勘定所見習。宝暦9年(1759年)御徒士小姓に取り立て、絵師を仰せ付けられ剃髪、慶舟に改名。安永2年5月6日(1773年6月25日)広守の隠居にあたり、幕府の許可を得て青山氏から出て住吉家の家督を相続し、扶持・屋敷と共に継いだ。同年6月1日、徳川家治にお目見え。青山氏からの2人扶持は、長男の岩之助(住吉廣行か)が継ぎ、その後広当の三男と思われる慶珉が受け継ぐ(その後は不明)。安永6年(1777年)に住吉姓に改める。 しかし、廣行が無事成長すると天明元年12月25日(1782年2月7日)家督・扶持・屋敷を廣行に渡し、再び板谷姓に戻る。同2年2月8日新規御抱えとなり、5人扶持と赤坂丹後坂に屋敷を与えられ、奥御用を仰せ付けられる。以後、板谷家は狩野家、住吉家と共に代々奥御用を勤める家柄となる。
尾張徳川家にも重用され、9代当主・徳川宗睦の命で廣行と共に「東照宮縁起絵巻」を制作する。ただこの頃広当は他所で、自分は尾張徳川家に重用された大家で、席画の際には高価な金銀泥箔絵絹なども惜しむことなく使える、などと吹聴する。尾張藩はこの時藩政改革の真っ最中であり、宗睦が奢侈に流れたとの風聞が立つのは都合が悪いため、一時広当と宗睦は疎遠になっている。広当は自らの舌禍が招いたこととはいえこれを挽回するために、尾張藩主の菩提寺である建中寺に「釈迦三尊・五百羅漢」寄進を尾張藩に申し入れ、しばらく後に宗睦との関係は修復している[1]。寛政7年 (1795年) から桂舟と号した。翌9年に病没、享年69。戒名は澄性院清江桂舟居士。菩提寺は南青山の梅窓院。板谷家自体は息子の板谷慶(桂)意広長が継いだ。以後、板谷家では、桂舟と桂意の号を交互に使用している。
作品
編集作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 文化財指定 | 備考 |
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毘沙門天像 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 45.2x19.5 | 東京国立博物館 | 1782年(天明2年) | 「天明ニ壬寅正月五日初寅広当謹画」 | 「広当之印」白文方印 | |
東照宮縁起絵巻 | 紙本著色 | 5巻 | 巻一:40.1x1018.5 巻二:40.1x2239.4 巻三:40.0x1388.0 巻四:40.1x1749.7 巻五:40.1x1101.1 |
名古屋東照宮 | 1789年(寛政元年) | 「行年六十一歳慶舟藤原広当」 | 廣行・広長との合作。当時、日光大楽院にあった住吉如慶筆「東照宮縁起絵巻」(現存せず)を参考に制作。 | |
鷹図 | 絹本著色 | 2幅 | 右幅:120.0x43.9 左幅:120.0x44.0 |
大英博物館 | 1789年(寛政元年) | 「住吉慶舟藤原広当行年六十一歳筆」 | 「広当之印」白文方印 | |
月下初雁図 | 絹本著色 | 1幅 | 118.4x42.8 | 個人 | 1789年(寛政元年) | 「行年六十一歳慶舟藤原広当」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
源氏物語図 | 絹本著色 | 1幅 | 96.0x41.2 | 大英博物館 | 1790年(寛政2年) | 「行年六十二歳慶舟藤原広当」 | 「和画一流」朱文円印 | |
釈迦三尊・五百羅漢図 | 紙本墨画 2幅のみ紙本墨画淡彩 |
50幅 | 133.5~134.2x57.2~57.7 | 建中寺 | 1791年(寛政3年) | 「住吉慶舟藤原広当行年六十三歳謹画」(釈迦三尊のみ) | 「広当之印」白文方印(釈迦三尊のみ) 「住吉慶舟」朱文方印(五百羅漢) |
徳川宗睦の名で寄進。この時は表具されていなかったため、藩の寺社奉行が寄付を募って享和2年(1802年)7月に完成。伝来で1幅失われている。 |
直衣人物・老松・若松図 | 紙本著色 | 3幅 | 92.7x27.1(各) | 個人 | 1792年(寛政4年) | 「行年六十四歳慶舟」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
夏祓図 | 絹本著色 | 1幅 | 111.1x41.6 | 個人 | 1793年(寛政5年) | 「行年六十五歳慶舟筆」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
富士牧牛図 | 紙本墨画 | 1幅 | 56.0x88.3 | 個人 | 1793年(寛政5年) | 「寛政五年癸丑年正月二日書初行年六十五歳慶舟藤原広当」 | 「広当之印」白文方印 | |
牡丹図 | 絹本著色 | 1幅 | 42.3x58.1 | 個人 | 1794年(寛政6年) | 「行年六十六歳慶舟藤原広当」 | 「広当」朱文方印 | |
毘沙門天像 | 紙本墨画 | 1幅 | 68.2x28.6 | 個人 | 1794年(寛政6年) | 「寛政六年甲寅歳正月二日初寅日寅刻画之 行年六十六歳慶舟藤原広当」 | 「和画一流」朱文円印 | |
勿来関図 | 絹本著色 | 1幅 | 109.0x53.0 | 東京国立博物館 | 1794年(寛政6年) | 「住吉慶舟行年六十六歳画」 | 「和画一流」朱文円印 | |
源氏物語図 | 絹本著色 | 3幅 | 右幅:130.8x49.7 中幅:131.0x49.7 左幅:130.7x49.6 |
土佐山内家宝物資料館 | 1796年(寛政8年) | 「慶舟行年六十八歳画」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
源氏絵浮舟 | 絹本著色 | 1幅 | 31x47 | 誠之館 | 1796年(寛政8年) | 「行年六十八歳慶舟藤原広当画」 | 「広当之印」白文方印[2] | |
源氏物語図 花宴 | 絹本著色 | 3幅 | 100.8x37.7 | 個人 | 1797年(寛政9年) | 「行年六十九歳桂舟画」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
源頼義図 | 絹本著色 | 1幅 | 94.5x33.0 | ウィーン国立工芸美術館 | 不詳 | 「慶舟藤原広当画」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
花鳥図 | 絹本著色 | 2幅 | 右幅:93.0x35.0 左幅:93.0x35.1 |
大英博物館 | 不詳 | 「住吉慶舟画」 | 「和画一流」朱文円印 | |
陵王図 | 絹本著色 | 1幅 | 120.5x44.1 | ギメ東洋美術館 | 不詳 | 「慶舟藤原広当画」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
Priest Looking Out into a Snow-covered Landscape | 絹本著色 | 1幅 | 42.7x69.2 | ミネアポリス美術館[3] | 「住吉慶舟藤原広当」 | 「広当之印」白文方印 | ||
那須与一図 | 絹本著色 | 1幅 | 40.0x63.6 | 個人 | 不詳 | 「住吉慶舟画」 | 「広当之印」白文方印 | |
樹下双鶴図 | 絹本著色 | 1幅 | 91.8x34.8 | 個人 | 不詳 | 「慶舟藤広当」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
富士桜松奇岩図 | 絹本著色 | 1幅 | 125.2x49.5 | 個人 | 不詳 | 「住吉慶舟藤原広当」 | 「和画之一流」朱文方印 | |
井手の玉川図衝立 | 絹本著色 | 1基 | 50.7x86.0 | 不詳 | 「住吉慶舟藤原広当」 | 「和画一流」朱文円印[4] | ||
松竹鶴亀図 | 絹本著色 | 2幅 | 88.5x28.0(各) | 個人 | 不詳 | 「住吉慶舟画」 | 「広当之印」白文方印 | |
琴棋書画図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 159.5x346.6 | 個人 | 不詳 | 「住吉慶舟画」 | 「広当之印」白文方印 | |
小朝拝朔旦冬至図屏風 | 絹本著色 | 六曲一双 | 右隻:137.6x337.4 左隻:137.3x336.8 |
徳川美術館 | 不詳 | 土佐光起筆「朝儀図屏風」(茶道資料館蔵)の写し。 | ||
負元亀・獅子狛犬図 | 絹本著色 | 1巻 | 44.4x345.7 | 徳川美術館 | 不詳 | 負元亀を廣行、獅子狛犬を広当が担当した合作。 | ||
吉野桜・竜田紅葉 | 2幅 | 92.3x32.3(各) | 一宮市博物館[5] |
脚注
編集- ^ 吉川(2013)。
- ^ 誠之館所蔵品 板谷慶舟画 日本画「源氏絵浮舟」
- ^ Priest Looking Out into a Snow-covered Landscape, Itaya Keishū _ Mia
- ^ 松平乗昌 木村重圭 田中敏雄監修 朝日新聞社編集・発行 『元禄―寛政 知られざる「御用絵師の世界」展』 1998年、第32図。
- ^ 一宮市博物館データ検索システム|板谷慶舟「芳野桜竜田紅葉(対幅)」
参考文献
編集- 森岩恒明 「江戸幕府御絵師の序列とその変動 ―住吉家を例に」『哲学会誌』 学習院大学哲学会、2003年7月、pp.1-30
- 鎌田純子「板谷広当」(竹内誠ほか編 『徳川幕臣人名辞典』 東京堂出版、2010年8月10日、p.66)ISBN 978-4-490-10784-5
- 吉川美穂 「建中寺蔵 板谷慶舟広当筆「釈迦三尊・五百羅漢図」製作事情 ―徳川宗睦との関わりを中心に―」徳川美術館編集 『尾陽―徳川美術館論集』第9号、徳川黎明会、2013年5月20日、pp.1-36、ISBN 978-4-7842-1692-5
- 田沢裕賀研究代表 東京国立博物館編集・発行 『板谷家を中心とした江戸幕府御用絵師に関する総合的研究 平成23~27年度科学研究費補助金研究成果報告書 課題番号23242013』 2016年3月31日