板倉 勝里(いたくら かつさと)は、江戸時代中期の大名陸奥国福島藩主。官位従五位下甲斐守。重昌流板倉家第6代。

 
板倉勝里
時代 江戸時代中期
生誕 宝永3年9月28日1706年11月3日
死没 寛保3年7月21日1743年9月9日
墓所 西尾市長圓寺
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
陸奥福島藩
氏族 高木氏→板倉氏
父母 高木正陳本多正永
板倉重泰
兄弟 高木正府勝里谷衛衝正室、
遠山友由正室、永井直堯正室、
服部保弘正室
相馬昌胤娘・
勝承勝任渡辺寛綱板倉勝延正室
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生涯

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河内国丹南藩高木正陳の次男として誕生した。祖母が板倉重矩の娘であった縁で、福島藩主板倉重泰の養子となった。

 
板倉勝里の墓(西尾市長圓寺)

享保3年(1718年)、家督を相続する。享保11年(1726年)から寛保元年(1741年)まで5回にわたり大坂加番を勤める。寛保3年(1743年)に死去し、跡を長男の勝承が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女