谷衛衝
日本の江戸時代中期~後期の大名。丹波山家藩4代藩主谷衛憑長男で、山家藩5代藩主。従五位下出羽守
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年(1700年) |
死没 | 宝暦13年5月13日(1763年6月23日) |
改名 | 勝千代(幼名)、衛衝 |
別名 | 右京(通称) |
戒名 | 廓公了無天性院 |
官位 | 従五位下・出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治 |
藩 | 丹波山家藩主 |
氏族 | 谷氏 |
父母 | 谷衛憑 |
兄弟 | 衛衝、美代 |
妻 | 高木正陳娘 |
子 |
衛将、衛秀、遠山景煕、青木一都正室、 内藤信智正室、谷衛明室、小倉夏季室、 谷衛明室 |
生涯
編集第4代藩主・谷衛憑の長男。
享保2年(1717年)10月22日、父の隠居で跡を継ぐ。宝暦12年(1762年)4月8日、長男の衛将に家督を譲って隠居し、宝暦13年(1763年)5月13日に64歳で死去した。法号は廓公了無天性院。