松平重和
松平 重和(まつだいら しげふさ)は、江戸時代前期の旗本。通称は太郎左衛門。松平郷松平家(太郎左衛門家)10代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長12年(1607年) |
死没 | 寛文4年1月15日(1664年2月11日) |
別名 | 通称:太郎左衛門 |
墓所 | 豊田市の高月院 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
氏族 | 松平郷松平家 |
父母 | 父:松平尚栄、母:成瀬重正養女 |
兄弟 | 養兄弟:信正 |
妻 | 本多光久娘、本多光政娘 |
子 | 信和、清光院 |
生涯
編集松平尚栄の長男として誕生。
寛永8年(1631年)、3代将軍・徳川家光に拝謁する。以後、隔年参府して将軍に御目見する慣例となった。慶安元年(1648年)、父の隠居により家督を相続した。松平郷の菩提寺・高月院の堂宇の修復を行った。
系譜
編集参考文献
編集- 『徳川・松平一族の事典』工藤寛正