松平親益

日本の室町時代中期の武将。三河長沢城主松平親則長男で、長沢松平氏2代当主。

松平 親益(まつだいら ちかます、生年不詳 - 寛正6年3月20日1465年4月15日))は、室町時代武将長沢松平家の2代目当主。通称源七郎上野介

略歴

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松平親則の嫡男として三河国に生まれる。初名は益親。母は愛知氏の女。寛正5年(1464年)、眞浄院(岡崎市岩津町)を創設した [1]

寛正6年3月20日に死去[2]法名眼宗。墓所は妙心寺(愛知県岡崎市岩津) [3]。子に松平親清がいる。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(国民図書、1922年、204p)
  • 『三河国額田郡誌』(額田郡、1924年、380p)

脚注

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  1. ^ 額田郡 1924, p. 380.
  2. ^ 国民図書 1922, p. 204.
  3. ^ 長沢松平家”. 2022年9月20日閲覧。