松平直方 (母里藩主)
江戸時代中期~後期の大名。 出雲母里藩の第7代藩主。直政系越前松平家母里藩分家7代。松平直泰の九男。従五位下、右近将監、志摩守。
松平 直方(まつだいら なおかた)は、出雲母里藩の第7代藩主。母里松平家7代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永8年11月6日(1779年12月13日) |
死没 | 天保13年7月21日(1842年8月26日) |
改名 | 英三郎(幼名)、直方、看雲(法名) |
戒名 | 一路院 |
墓所 | 天徳寺 |
官位 | 従五位下、右近将監、志摩守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 出雲国母里藩主 |
氏族 | 越前松平家(明石家→母里家) |
父母 |
父:松平直泰、母:丹羽高庸の娘 養父:松平直暠 |
兄弟 |
直之、直周、直暠、中条信徳、直方、 有馬広寿 |
妻 |
正室:八重(松平直行の娘・松平直暠の養女) 継室:松平輝和の娘 |
子 |
直興、娘(戸田光逸正室)、 娘(水谷勝昌正室)、娘(柴田康豊正室)、 娘(有馬広憲室)、娘(津田信義正室)、 娘(斉藤利時正室) |
略伝
編集安永8年(1779年)11月6日、播磨明石藩主・松平直泰の九男として生まれる。寛政8年(1796年)に実兄で母里藩の第6代藩主である直暠が死去すると、兄の養女(先々代松平直行の娘)と結婚して婿養子となった上で家督を相続した。
文化14年(1817年)3月25日、家督を長男・直興に譲って隠居し、看雲と号した。天保13年(1842年)7月21日に死去した。享年64。