松平 清道(まつだいら きよみち)は、江戸時代前期の大名播磨国姫路新田藩主。

 
松平清道
時代 江戸時代前期
生誕 寛永11年(1634年
死没 正保元年12月26日1645年1月23日
改名 八郎左衛門(幼名)、清道
墓所 東京都台東区松が谷海禅寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光
播磨姫路新田藩
氏族 奥平松平家
父母 松平忠明:三好氏
兄弟 忠弘清道、ムリ姫、大久保忠職正室、京極高供正室、四条隆術室、榊原清照室、大沢尚親
なし
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生涯

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寛永11年(1634年)、大和国郡山藩主(後に播磨姫路藩初代藩主)松平忠明の次男として郡山にて誕生した。

寛永21年(1644年)3月25日に父が江戸藩邸で死去したため、その跡を継いだ兄・忠弘や幕閣らの計らい、さらに父が存命中から嘆願していたこともあって、清道に姫路藩から3万石が分与されて姫路新田藩を立藩した。しかし正保元年(1644年)12月26日に死去した。享年12。

嗣子がいるはずもなく、姫路新田藩は1年足らずで廃藩となった。