松平康直
日本の安土桃山時代の武将。三河長沢城主松平康忠長男で、武蔵深谷藩初代藩主(長沢松平家9代当主)
松平 康直(まつだいら やすなお)は、安土桃山時代の武将。長沢松平家9代当主。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄12年(1569年) |
死没 | 文禄2年10月29日(1593年12月21日) |
別名 | 源七郎 |
戒名 | 三高院殿大翁浄安大居士 |
墓所 | 三高院浄安寺(埼玉県深谷市本住町) |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 長沢松平家 |
父母 | 父:松平康忠、母:矢田姫(松平広忠の娘) |
兄弟 |
康直、直隆、直宗、直之 養兄弟:直信 |
妻 | 正室:本多広孝の娘 |
子 |
蓮姫 継承者:松千代 |
略歴
編集8代当主で徳川十六神将の一人・松平康忠の子として誕生。母は徳川家康の異母妹・矢田姫。
天正16年(1588年)に元服し、家康の偏諱を受けて康直と名乗る。父・康忠は康直に家督を譲り、京都に隠棲する。天正18年(1590年)、小田原征伐に参戦し岩槻城を攻撃する。戦後、その戦功により武蔵国深谷城主となり、1万石を与えられるが、文禄2年(1593年)に父に先立って病没し、康直が開基として創建した三高院に葬られた。享年25。 嗣子が無く、長沢松平家の名跡は家康の七男・松千代(慶長4年(1599年)死去)、次いで六男・忠輝が継いだ。
三高院にある康直の墓石(宝篋印塔)は深谷市文化財に指定されている。