松平宗胡
日本の江戸時代中期の大名。遠江浜松藩初代藩主(移封前は常陸笠間藩2代藩主)松平資俊六男で、越前高森藩2代藩主(無嗣断絶)
松平 宗胡(まつだいら むねひさ)は、江戸時代中期の大名。越前国高森藩2代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝永元年(1704年) |
死没 | 正徳元年11月25日(1712年1月3日) |
戒名 | 性与円水覚泡澄元院 |
墓所 | 東京都台東区浅草の安養寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家宣 |
藩 | 越前高森藩主 |
氏族 | 本庄松平家 |
父母 | 松平資俊、川村氏 |
兄弟 |
宗弥、宗長、宗胡、富田知徳、 鳥居忠瞭正室、松平義孝正室、 松平久瑞正室ら |
略歴
編集宝永6年(1709年)、兄・宗長が嗣子なくして死去したため、その養子として家督を継いだ。しかし幼少だったため、一度も入国することなく正徳元年(1711年)11月25日に8歳で死去した。嗣子がいるはずもなく、高森藩は断絶した。法号は性与円水覚泡澄元院。墓所は東京都台東区浅草の安養寺。
脚注
編集