松平光永
江戸時代前期から中期の大名。美濃加納藩2代藩主。戸田松平家4代。従五位下・長門守、丹波守。松平光重の長男
松平 光永(まつだいら みつなが)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。美濃国加納藩2代藩主。戸田松平家4代。官位は従五位下・長門守、丹波守。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永20年(1643年) |
死没 | 宝永2年2月29日(1705年3月24日) |
改名 | 幸松、孫四郎(幼名)→光永 |
官位 | 従五位下・長門守、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 美濃加納藩主 |
氏族 | 戸田松平家 |
父母 | 父:松平光重、母:栗山氏 |
兄弟 |
光永、戸田光正、戸田光直、 今城定淳室、安藤重博正室 |
妻 |
正室:松平典信娘 側室:駒井氏娘、都筑氏娘 |
子 |
光煕、戸田光規、堀直利正室、 戸田冬房室 |
略歴
編集初代藩主・松平光重の長男として誕生した。母は側室の栗山氏。幼名は幸松、孫四郎。
寛文8年(1668年)、光重の死去により家督を相続する。相続時、弟の戸田光正(文殊戸田家)と戸田光直(北方戸田家)にそれぞれ5000石を分知した。[1]
人物
編集『土芥寇讎記』の評価では、光永は学(儒学や古典籍の教養)は無いが自然と仁義を備えており、心意は正しく、領民を愛し良い統治をしており家中・領民は豊かであり、「不学の道者」と賛している。
系譜
編集父母
- 松平光重(父)
- 栗山氏 ー 側室(母)
正室
- 松平典信の娘
側室
- 駒井氏
- 都筑氏
- 森田氏
- 垂井氏
子女