松平信孝 (小島藩主)
江戸時代前期の大名、小島藩主。幕府若年寄
松平 信孝(まつだいら のぶなり)は、江戸時代前期の大名。駿河国小島藩初代藩主。滝脇松平家8代。官位は従五位下・但馬守、安房守。石高は初め6000石、後に1万石。江戸幕府の小姓組番頭・御側衆・書院番頭・若年寄を務める。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 明暦元年(1655年) |
死没 | 元禄3年10月17日(1690年11月17日) |
改名 | 助十郎(幼名)→信孝 |
戒名 | 源松院殿尊誉一法大居士 |
墓所 | 東京都台東区下谷の英信寺 |
官位 | 従五位下・但馬守、安房守 |
幕府 | 江戸幕府若年寄 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 駿河小島藩主 |
氏族 | 形原松平家→滝脇松平家 |
父母 | 父:松平典信、養父:松平重信 |
兄弟 |
信孝、信利、松平光永正室、 板倉重郷養女、戸田重恒正室、 松平忠充正室、松平氏辰室、信庸、 真田信音正室、永井直敬正室、 松平近禎正室 |
妻 | 正室:松平乗政娘 |
子 | 養子:信治[1]、竹中重栄室 |
生涯
編集明暦元年(1655年)、丹波国篠山藩2代藩主・松平典信の庶長子として誕生した。
寛文11年(1671年)、駿府城代であった大叔父松平重信の養子となり、延宝元年(1673年)の養父の死去により家督を継いだ。
その後、小姓組番頭・御側衆・書院番頭・若年寄と栄進する。天和3年(1683年)の武鑑では「松平但馬守」が小姓組7番組番頭として記載されているのが見える。部下にあたる小頭は仙石久尚(仙石丹波守)(1000石)。屋敷は飯田町の上。
加増も受けて元禄2年(1689年)には合計1万石の大名となって諸侯に列したことから、小島藩主となった。しかし翌元禄3年(1690年)10月17日に死去した。享年36。跡を甥で養子の信治が継いだ。
人物
編集有能な人物であり、史書においても「領内に善政を布き、領民を思いやる、そして文武両道の名君であった。しかし若くして病死したことが惜しまれる」と評されている。
系譜
編集父母
正室
- 松平乗政の娘
養子、養女
脚注
編集参考文献
編集- 橋本博『大武鑑・中巻』名著刊行会、1965年5月10日発行他