松山新田藩(まつやましんでんはん)は、江戸時代中期にあった伊予松山藩支藩である。

概要

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石高は1万石。久松松平家4代松平定直の子定章享保5年(1720年)に桑村郡越智郡の一部を新田分知されて立藩した。定章の後は嫡子の定静が遺領を相続したが、明和2年(1765年)2月になって伊予松山藩7代藩主松平定功の養嗣子となり、本藩藩主家を継承することになった。この際に新田1万石は松山藩に返還されることなく幕府に返上され、松山新田藩は消滅する。桑村郡のうち新田の五、三七一石余と越智郡のうちで四、六二八石余、合計一万石が同年7月22日、松山藩から幕府代官・竹垣庄蔵に渡された[1]

歴代藩主

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松平〔久松〕家

親藩 1万石 (1720年 - 1765年)

  1. 定章
  2. 定静

出典

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  1. ^ 『愛媛県史 近世 上』(昭和61年1月31日発行)「資近上二-9」

関連項目

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