東京都立千歳高等学校
東京都世田谷区にあった高等学校
東京都立千歳高等学校(とうきょうとりつ ちとせこうとうがっこう)は、かつて東京都世田谷区粕谷三丁目に存在した東京都立高等学校。
東京都立千歳高等学校 | |
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過去の名称 |
東京府立第十二中學校 東京府立千歳中學校 東京都立千歳中學校 東京都立千歳新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
設立年月日 | 1939年 |
閉校年月日 | 2002年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒157-0063 |
東京都世田谷区粕谷三丁目8番1号 | |
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概要
編集歴史ある東京都のナンバースクールの一つ、東京府立第十二中學校を前身とする伝統校であった。
沿革
編集- 1939年 - 東京府立第十二中学校として設立。赤坂区青山北町にあった青山師範学校の旧校舎(後の青山北町アパート)にて新入学250名で開校(東京府立第十一中学校と同居、翌年同校移転後東京府立第十三中学校入居)[1]。
- 1941年 - 東京府立千歳中学校と改称。世田谷区粕谷町に移転[1]。
- 1943年 - 都制実施により、東京都立千歳中学校となる。
- 1948年 - 学制改革により、東京都立千歳新制高等学校となる。
- 1949年 - 男女共学開始。
- 1950年 - 東京都立千歳高等学校と改称。
- 1952年 - 学区合同選抜制度導入。
- 1967年 - 学校群制度が施行され、千歳丘、松原、明正の各校と25群を組む。
- 1970年 - 学校群改編され、当校と松原高で25群、千歳丘高と明正高で26群となる。
- 1982年 - グループ合同選抜制度に移行、22グループに編成される。
- 1994年 - 単独選抜となる。
- 2000年 - 生徒の募集を停止。
- 2002年3月 - 58期生の卒業をもって閉校。
校歌
編集諸活動
編集- 部活動
- ラグビー部は、戦後すぐの第28回全国高校ラグビー大会、第30回同大会に出場したが、いずれも1回戦敗退であった。
学校行事
編集例年9月に「千歳祭」の名称で文化祭が開催されていた。
交通
編集京王線 千歳烏山駅 徒歩約13分、小田急小田原線 祖師ヶ谷大蔵駅 徒歩約20分など、バス通学その他、現在の芦花高校と同様である。
高校関係者と組織
編集同窓会
編集同窓会組織の名称は「誠之会」であり、2024年現在も活動している。詳細は#外部リンクを参照。
著名な関係者
編集出身者
編集- 恩地日出夫(映画監督)
- 花田紀凱(雑誌編集者、元週刊文春編集長)
- 本田靖春(ジャーナリスト)
- 井沢元彦(作家)
- 和田誠(イラストレーター)
- 仲代達矢(俳優 / 定時制課程出身)
- 大宅歩(詩人 / 大宅壮一の子。のち日比谷高へ転校)
- 片岡義男(小説家、エッセイスト)
- 一條和生(経営学者)
- 松永エリック・匡史(音楽家、青山学院大学教授)
- 石原千秋(近代文学研究者)
- 三浦雄一郎(プロスキーヤー)
- 辰濃和男(エッセイスト)
- 珠瑠美(女優、映画監督)
- 加東康一(芸能評論家)
- 園基信(華道家)
- 池広一夫(映画監督)
- 塙義一(日産自動車名誉会長)
- 藤居寛(元帝国ホテル社長)
- 小林哲也(帝国ホテル会長)
- 花形敬(元安藤組大幹部 / のち国士舘中学へ転校)
- 山崎善平(元プロ野球選手)
- 中谷正寛(元陸上幕僚長)
- 斎藤努(元毎日放送アナウンサー)
- 古屋明信(元NHKアナウンサー)
- 平社直樹(デザイナー)
- 山梨崇仁(神奈川県葉山町長)
- 眞仁田勉(東京都副知事)
- 八木康行(元日本マクドナルドホールディングス社長、元リンガーハット社長)
- 今野哲治(俳優)
- 加地健太郎(俳優)
- 堤尚彦(おかやま山陽高野球部監督)