杭谷一東
杭谷 一東(くえたに いっとう、1942年 - )は、日本の彫刻家[1]。
杭谷 一東 (くえたに いっとう) | |
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生誕 | 広島県世羅郡世羅町[1] |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 彫刻 |
公式サイト |
www |
影響を受けた 芸術家 |
圓鍔勝三[1] ペリクレ・ファッツィーニ[1] |
広島県世羅郡世羅町出身[1]。圓鍔勝三に師事し[1]、1962年に日展初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年にイタリアに渡りペリクレ・ファッツィーニに師事、ブロンズ像を学んだ後、大理石へ進んだ[1]。2012年時点ではイタリアのカッラーラにアトリエを構え、制作活動を行いつつ年の半分を過ごしている[1]。
彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。
略歴
編集- 1942年 - 広島県世羅郡甲山町に生まれる[2]。
- 1957年 - 圓鍔勝三に師事[2]。
- 1962年 - 日展初入選。以後、連続8回入選する[2]。
- 1969年 - イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学、同アカデミーでファッツィーニ教授に師事[2]。
- 1971年 - イタリア国立アカデミー卒業。同年、同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞[2]。
- 1974年 - ファッツィーニ教授の助手としてバチカン宮殿の謁見の間の「キリストの復活」制作に参加[2]。
- 1988年 - 耕三寺博物館巍々園の「未来心の丘」制作開始[3]。
- 1990年 - バチカン宮殿にてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に謁見[2][4]。
- 1993年 - 広島ホームテレビより文化賞受賞[2]。
- 2000年 - 耕三寺博物館巍々園の「未来心の丘」第1期オープン[3]。
- 2004年 - カラーラにてチャンピ・イタリア大統領に謁見[2]。
- 2005年 - MAA(マーブル・アーキテクチュアル・アワード)大賞受賞[2][4]。
- 2006年 - 広島文化賞受賞[2]。
- 2024年 - 地域文化功労者[5]
展覧会
編集- 1977年 - 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第11回クワドリエンナーレ出品[2]。
- 1979年 - 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第1回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)[2][4]。
- 1980年 - 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市)[2]。
- 1981年 - 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)[2]。
- 1987年 - 第5回ヘンリー・ムーア大賞展(美ヶ原高原美術館)[2]。
- 1988年 - 国際石彫シンポジウム(ドイツ、西ベルリン)[2]。
- 1989年 - 国際石彫シンポジウム(フランス、バルセロナ)[2]。
- 1990年 - 個展形式4人展(ドイツ・ベルリン、日独文化センター)[2]。
- 1998年 - 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)[2]。
- 2004年 - 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸)[2]。
- 2007年 - オープン・ワン 白い息吹 水の神(イタリア・ピエトラサンタ)[2]。
- 2008年 - 第13回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)[2]。
- 2008年 - Arte Senza Confini(イタリア・ミラノ)[2]。
- 2009年 - ローマ古代遺跡・アッピア街道展(イタリア・ローマ)[2]。
モニュメント
編集製作年 | 作品名 | 素材 | 所在地 |
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1981年 | 『家族』 | 胡椒石 | ヴィラ・デジデーリ(イタリア・マリーノ市) |
1982年 | 『家族』 | カッラーラ産大理石、花崗岩 | 府中市文化センター(広島県府中市) |
『かたらい』 | 花崗岩 | 広島県立府中東高等学校(広島県府中市) | |
1983年 | 『平和アピール碑』 | カッラーラ産大理石 | 広島平和記念資料館(広島県広島市) |
『経験』 | 花崗岩 | 広島全日空ホテル(広島県広島市) | |
『かたらい』 | カッラーラ産大理石 | 正田歯科医院(広島県甲山町) | |
1984年 | 『かたらい』 | カッラーラ産大理石 | 三原リージョンプラザ(広島県三原市) |
『水のデゥエット』 | 花崗岩(赤、灰色) | 甲山町役場(広島県甲山町) | |
1985年 | 『道程』 | 花崗岩 | 宇津戸公民館(広島県甲山町) |
1986年 | 『太陽の滴』 | カッラーラ産大理石、花崗岩 | 春日池公園(広島県福山市) |
1987年 | 『敬意』 | カッラーラ産大理石 | 美ヶ原高原美術館(長野県武石村) |
1988年 | 『敬意』 | アフリカ黒花崗岩 | ふくやま美術館(広島県福山市) |
『家族』 | ブロンズ | 株式会社ナカタ・マックコーポレーション(広島県尾道市) | |
1989年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | 新尾道駅(広島県尾道市) |
『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | カタラン広場(フランス・バルセロナ) | |
1990年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | 藤原眼科(広島県世羅町) |
『敬意』 | カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩 | 日独文化センター(ドイツ・ベルリン) | |
1991年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | ミノーリ市(イタリア) |
『家族』 | カッラーラ産大理石 | 久井カントリークラブ(広島県久井町) | |
『共有』 | カッラーラ産大理石 | 株式会社北川鉄工所(広島県府中市) | |
1992年 | 『敬意』 | カッラーラ産大理石 | 広建コンサルタンツ株式会社(広島県福山市) |
『水の城』 | 花崗岩 | 福山城公園(広島県福山市) | |
1993年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | 通町公園(千葉県千葉市) |
『太陽への道』 | カッラーラ産大理石 | 広島県立びんご運動公園(広島県尾道市) | |
1994年 | 『共生』 | カッラーラ産大理石 | 府中市体育館ウッドアリーナ(広島県府中市) |
『共生』 | カッラーラ産大理石 | 新市中央緑地公園(広島県新市町) | |
1995年 | 『未来心』 | カッラーラ産大理石 | 広島県立世羅高等学校(広島県世羅町) |
『共生』 | カッラーラ産大理石 | 千代田区いきいきプラザ一番町(東京都千代田区) | |
1996年 | 『共生』 | 花崗岩 | 北部市民センター(広島県福山市) |
1997年 | 『共生』 | カッラーラ産大理石 | 八田原ダム(広島県甲山町) |
『卵の城』 | カッラーラ産大理石 | かごしま健康の森公園(鹿児島県鹿児島市) | |
2000年 | 『未来心の丘』 | カッラーラ産大理石ほか | 耕三寺博物館(広島県瀬戸田町)[6] |
2004年 | 『和舒門』 | カッラーラ産大理石 | 三原市水道局(広島県三原市) |
『家族』 | カッラーラ産大理石 | ポケットパーク6(広島県御調町) | |
『館祖 奥 愛次郎 胸像』 | ブロンズ | 広島県立日彰館高等学校(広島県三次市) | |
『天地花』 | カッラーラ産大理石 | 天地花公園(広島県世羅町) | |
『未来心』 | カッラーラ産大理石 | 甲山中学校(広島県世羅町) | |
『敬意』 | カッラーラ産大理石 | 本郷生涯学習センター(広島県本郷町) | |
2005年 | 『敬意(連作)』 | 不明 | なかた美術館(広島県尾道市、長崎県長崎市) |
2008年 | 『太陽の門』 | 不明 | まなびの館ローズコム(広島県福山市) |
2009年 | 『敬意』 | アフリカ黒花崗岩 | 藤原眼科(広島県世羅町) |
脚注
編集参考文献
編集- “杭谷一東さん”. 朝日新聞. (2012年3月31日) 2019年6月17日閲覧。
- “平成23年2月7日(月曜日) 彫刻家 杭谷一東さんの訪問がありました”. 広島県 (2011年2月7日). 2019年6月17日閲覧。
- “しまなみ海道「未来心の丘」は写真映え必至の眩しすぎる純白アートスポット!”. しまなみ海道 (2019年1月23日). 2019年6月17日閲覧。
- “略歴”. 杭谷一東. 2019年6月17日閲覧。
外部リンク
編集- 環境彫刻家 杭谷一東 - 公式サイト
- 未来心の丘 - 耕三寺博物館