李龍文
李 龍文(イ・ヨンムン、이용문、1916年1月22日 - 1953年6月24日)は大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍の軍人。最終階級はそれぞれ少佐、少将。日本名は山本 健雄。太極武功勲章授与者。
李 龍文 이용문 | |
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生誕 |
1916年1月22日 日本統治下朝鮮平安南道平壌府 |
死没 |
1953年6月24日(37歳没) 大韓民国全羅北道南原市 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
少佐(日本陸軍) 少将(韓国陸軍) |
人物
編集1916年1月、平安南道平壌府大新洞に大韓帝国軍軍人の李箕浩(이기호)の三男として生まれる。平壌高等普通学校卒業[2]。1937年12月、陸軍士官学校(第50期、351番/426名)騎兵科卒業。1938年1月25日、陸軍騎兵少尉に任官[3]後は東京の騎兵第1連隊附に配属[4]。同年9月1日、陸軍騎兵中尉[5]。同年、満州孫呉基地に派遣[6]。1939年、陸軍騎兵学校で10か月間の教育を受ける[6]。1940年、北満州開封守備隊長[6]。1942年、大本営に勤務[6]。1943年、南方総軍交通司令部参謀として南方戦線に派遣[6]。以後、スマトラ、マレーシア、ミャンマーなどに勤務[6]。1944年3月1日、陸軍少佐[7]。終戦時は南方軍第2野戦鉄道司令部附[8]。終戦後はベトナム、中国を経て1947年9月に帰国した[4]。
1948年、韓国陸軍特任入隊、任少領(軍番12290番)。同年11月25日、初代機甲連隊長(中領)。1949年7月、陸軍本部情報局長。同年10月、甕津地区戦闘司令官。1950年6月、陸軍参謀学校副校長。
朝鮮戦争が勃発すると連絡要員兼督戦員として出動。ソウル市街戦と漢江渡河撤退の際、ソウル会戦で軍主力と政府が撤退したソウル市内の南山地区で白虎部隊を編成し徹底抗戦し、政府や市民の避難の助けとなった。市が陥落すると遊撃戦を行うつもりで一部の兵と共に南山に入ったが、食料が無いので、やむなく蛙や木の実で飢えをしのぎつつ、生存の努力をしていた。9月に国連軍がソウルを奪還すると、痩せ衰えた姿で発見された。ソウルに留まっていたことから、軍の捜査機関から調査を受けた[9]。
1950年10月16日、江原道地区戒厳民事部長[10]。1951年6月、陸軍本部作戦教育局長。同年8月、准将。釜山政治波動で陸軍参謀総長や情報局長などの5人と共に戒厳宣言反対の先頭に立ったがため、作戦局長を解任された[11]。1952年3月、第9師団副師団長。同年7月、首都師団長。首都高地の戦闘を指揮。同年10月、南部地区警備司令官。当初はアメリカ留学対象将官名簿にも名前が挙がっていたが、釜山で外信記者たちに「国軍に弾薬供給が不足している」と話したことから、テイラー司令官の怒りを買い、左遷されたと言われている[9]。1953年6月、航空事故で殉職。死後、少将に昇進した。
出典
編集- ^ 이영재 (2016年6月16日). “'6·25전쟁 때 끝까지 서울 사수' 이용문 장군 추모 강연회” (朝鮮語). 연합뉴스. 2023年10月2日閲覧。
- ^ 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 41.
- ^ 官報.1938年01月26日6コマ
- ^ a b “박근혜 지지한 이건개, 대를 이은 '보은'” (朝鮮語). オーマイニュース. (2012年11月26日) 2016年11月24日閲覧。
- ^ 官報.1938年09月02日9コマ
- ^ a b c d e f 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 42.
- ^ “第36号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報(1)” (PDF). アジア歴史資料センター. pp. 327. 2019年3月29日閲覧。
- ^ 松原慶治 編『終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑』戦誌刊行会、1985年、1423頁。
- ^ a b “[6·25전쟁 60주년 특별기획] 白善燁이 만난 6·25전쟁의 영웅들 <下·끝>” (朝鮮語). 月刊朝鮮. (2010年6月) 2018年1月21日閲覧。
- ^ 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争第3巻 中共軍の介入と国連軍の後退』かや書房、2002年、171頁。
- ^ “(355)전시하의 정치파동(4)” (朝鮮語). 中央日報. (1972年7月26日) 2018年7月18日閲覧。
参考文献
編集- 佐々木春隆 (1976). 朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで. 原書房
- 친일인명사전편찬위원회 編 (2009). 친일인명사전 3. 친일문제연구총서 인명편. 민족문제연구소. ISBN 978-89-93741-05-6
軍職 | ||
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先代 宋堯讃 |
大韓民国陸軍南部地区警備司令官 第2代:1952.10 - 1953.6.24 |
次代 李貞錫 |