李 長泰(り ちょうたい)は清末民初の軍人。北京政府安徽派の軍人。階平

李 長泰
『改訂 現代支那人名鑑』(1928年)
プロフィール
出生: 1862年同治元年)
死去: 1922年民国11年)
中華民国の旗 中華民国天津市
出身地: 清の旗 直隷省順天府武清県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 李 長泰
簡体字 李 长泰
拼音 Lǐ Chángtài
ラテン字 Li Ch'ang-t'ai
和名表記: り ちょうたい
発音転記: リー チャンタイ
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事跡

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天津武備学堂を卒業し、1895年光緒21年)に、新建陸軍に加入する。以後、工程営管帯、工兵参領を経て、北洋第6鎮協統となる。

中華民国成立後の1912年民国元年)、署理直隷省大名鎮総兵に任命される。翌年、冀南鎮守使に転じた。1914年(民国3年)9月、第8師師長となり、袁世凱が皇帝に即位した翌年12月に、二等男爵を授与された。

1917年(民国6年)7月、張勲復辟に際しては、段祺瑞により討逆軍東路副司令に任じられ、張勲を討伐した。翌月、歩軍統領衙門統領に任命された。1919年(民国8年)5月、辞職し、以後、天津に寓居した。

1922年(民国11年)、死去。享年61。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
江朝宗
歩軍統領
1917年8月 - 1919年5月
次代
王懐慶