李 元燁(イ・ウォニョプ、朝鮮語: 이원엽1924年8月16日 - 2014年5月7日)は、大韓民国陸軍軍人政治家実業家洋画家。第6代審計院長、初代監査院長、第7代韓国国会議員を歴任した。カトリック教徒[1]

経歴

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日本統治時代の咸鏡南道咸興または北青郡新昌邑[2]出身。志願兵として日本軍に入隊。陸軍士官学校(5期)・陸軍大学卒、国学大学を経て延世大学校経営大学院修士課程修了。1961年、陸軍航空学校校長を務めた時に5・16軍事クーデターに参加し、国家再建最高会議最高委員・文社委員長、審計院長を務めた。1963年12月12日[3]陸軍少将として予備役に編入された後、監査院長、国家安全保障会議常任委員、第7代国会議員石油化学支援公団理事長、航空協会会長、南海化学社長を歴任した。政財界を引退した後は画家となり、日曜画家会会長を務めた[1][4][5][6]

2014年5月7日、持病により死去。享年90[6]

勲章

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  • 忠武武功勲章[3]

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月21日閲覧。
  2. ^ 여름에 내故鄉(고향)을… (9) 新昌浦口(신창포구)의 조개죽”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1970年8月5日). 2024年10月21日閲覧。
  3. ^ a b 정안기 2020, p. 379.
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月21日閲覧。
  5. ^ I AUCTION”. www.insaauction.com. 2024年10月21日閲覧。
  6. ^ a b 이원엽 초대 감사원장 별세” (朝鮮語). 한겨레 (2014年5月7日). 2024年10月21日閲覧。

参考文献

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  • 정안기 (2020). 충성과 반역 : 대한민국 創軍・建國과 護國의 주역 일본군 육군특별지원병. 조갑제닷컴. ISBN 979-11-85701-69-1