本田 史郎(ほんだ しろう、1957年4月17日[4] - )は、日本の熊本県を中心に活動するフリーアナウンサー
熊本放送(RKK)社員で、アナウンサーとして放送部長及びアナウンス部長等を歴任した。

ほんだ しろう
本田 史郎
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 熊本県熊本市
生年月日 (1957-04-17) 1957年4月17日(67歳)
血液型 A
最終学歴 西南学院大学卒業
所属事務所 フリー
部署 放送部
→?
→放送部
→ラジオ編成制作部(2005年4月 - 2008年3月)
→放送部(※2012年 - 2015年は放送部長)
→報道製作局アナウンス部(※2015年[1] - 2017年はアナウンス部長)
職歴 熊本放送(1981年 - 2022年)
アナウンサーラジオディレクター及びパーソナリティ→アナウンサー)
活動期間 1981年 -
ジャンル 情報・ナレーション
スポーツ実況
配偶者[3]
公式サイト RKKアナウンサールーム・本田史郎
出演番組・活動
出演中 後述参照
出演経歴 後述参照

略歴

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熊本県熊本市出身[6]西南学院大学卒業後の1981年、RKKに入社。

永らくアナウンサーを務めていた[9]が、2005年4月にラジオ編成制作部へ異動となり、2008年3月迄所属、ディレクターとして「史郎と扶美の日刊・朝まる」をパーソナリティ兼任で担当していた。

2008年4月1日より放送部(当時)に異動となり、再びアナウンス職へ戻る。2012年 - 2015年3月にかけては放送部長、2015年から2017年迄はアナウンス部長[10](組織改編による肩書き変更)をつとめ、田名網駿一2014年入社)や糸永有希[11]2015年入社)の育成にも関わっている。

2017年の役職定年後もアナウンス部に在籍したが、65歳を迎えた2022年4月17日を以て退社。
尚、本田は、2012年山田邦博1952年生まれ)が定年退職して以降2022年迄、熊本放送社員の中でアナウンス職に就く者では唯一の1950年代生まれ、2021年3月末福島絵美1960年生まれ)が定年退職して以降の1年間はアナウンス部配属者で唯一1980年代に熊本放送に入社した者であったが、本田の退職以後アナウンス職に就く者全員が1991年以降に入社した者となり、1969年生まれの木村和也を除いた全員が1970年以降に誕生した者となった。

その後2022年6月からはフリーとして活動しており、2023年からは15年振りにラジオのレギュラー番組を持つこととなる。

人物・逸話

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座右の銘「少ない言葉で多くを語る」

スポーツ実況

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アノンシスト賞受賞

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JRNJNN加盟39社で放送された番組の中で、最も優秀と認められたアナウンサーに毎年送られる「アノンシスト賞」の全国審査で、第25回(2000年)はテレビ「フリートーク」部門、第27回(2002年)と第32回(2007年)はラジオ「読み・ナレーション」部門で、また第27回(2002年)は、九州地区スポーツ実況部門、第29回(2004年)は、九州地区ラジオ「フリートーク」部門、第31回(2006年)は九州・沖縄地区「読み・ナレーション」部門、第34回(2009年)は九州・沖縄地区「テレビスポーツ実況」部門でそれぞれ最優秀賞を受賞した。

現在の担当番組

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テレビ・ラジオ

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熊本放送

ラジオ

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RKKラジオ

テレビ

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過去の担当番組

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テレビ・ラジオ

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熊本放送在職時

ラジオ

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定年後

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熊本放送在職時

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テレビ

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定年後

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熊本朝日放送

熊本放送在職時

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 3月1日付で組織改編と人事異動 熊本放送 編成、営業局新設”. KUMAKEI ONLINE. くまもと経済 (2015年2月17日). 2022年2月4日閲覧。
  2. ^ 糸永有希 (2020年5月28日). “今日のアマビエ30.5”. アナウンサールーム. 熊本放送. 2020年8月29日閲覧。
  3. ^ 妻は絵が得意らしい。(同局アナウンサー・糸永有希のブログより[2]
  4. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、290頁。
  5. ^ 大田黒浩一「人生は・・・よかばい!(13)」『熊本日日新聞』第28460号2021年6月22日、3版、17面。
  6. ^ 同い年で、RKKでも長年レギュラー番組をもつ、ローカルタレント大田黒浩一は、熊本市立向山幼稚園での同期生である(大田黒談[5])。
  7. ^ この7人は、清原憲一小宮恵子坂口絵美宮脇利充江上浩子木村和也小林明弘である。
  8. ^ 小林明弘 (2021年8月6日). “はじめまして、小林です。”. アナウンサーブログ. 熊本放送. 2021年8月7日閲覧。
  9. ^ 後輩アナウンサー小林明弘が公式ブログに、アルバムに収まった(彼の入社年である)1993年度当時放送部に在籍していた7人[7] が写っている記念写真をアップしたことがある[8] が、その写真には本田は写っておらず、この時期は別部署に所属していたと思われる。尚、1998年頃の資料に「放送部次長」とある。
  10. ^ 後任は福島絵美2021年3月31日限りで定年退職)。
  11. ^ 本田史郎 (2015年5月11日). “お待たせしました。”. アナウンサールーム. 熊本放送. 2020年8月29日閲覧。
  12. ^ 本田史郎 (2019年11月25日). “おりひめジャパンの応援はRKKラジオで!その1”. アナウンサールーム. 熊本放送. 2020年8月29日閲覧。
  13. ^ 本田史郎 (2023年3月25日). “4月2日スタート!本田史郎です”. THE リクエストSunday. 熊本放送. 2023年3月30日閲覧。
  14. ^ 野球やマラソンは主に吉田明央田名網駿一、サッカーは山崎雄樹(2018年退職)や木村和也、吉田が担当することが多かった。
  15. ^ 毎度おなじみ 鉢盛りラジオ(2002年4月)”. 熊本放送. 2002年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月29日閲覧。
  16. ^ @makikocafe (2021年2月14日). "2005年4月1日 鉢盛ラジオ最終回の時の写真が出てきました。初回と最終回を担当した不思議なご縁の番組。". X(旧Twitter)より2021年4月3日閲覧
  17. ^ レジェンドアナウンサーが実況中継 往年の名調子からあふれる球児愛 朝日新聞デジタル 2022年7月15日

外部リンク

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