本多謙三
日本の哲学者
本多 謙三 (ほんだ けんぞう、1898年11月30日 - 1938年3月7日)は、日本の哲学者。東京商科大学(現一橋大学)予科教授を務めた。唯物論研究会発起人。
人物・経歴
編集兵庫県神戸市塚本通出身。父本多一太郎は神戸商業会議所副会長も務めたマッチ製造業者[1]。神戸市立兵庫小学校を経て、寺尾亨邸に寄宿し、早稲田尋常小学校、東京高等師範附属小学校(現筑波大学附属小学校)、同中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1921年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科2年修了[1]。1924年東京商科大学(現一橋大学)本科卒業[2]。左右田喜一郎門下[3]。
1925年東京商科大学予科兼専門部講師、中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学校)獨乙語講師。1929年東京商科大学予科教授[1][2][4]。1932年唯物論研究会発起人[5]。1934年両親のいた芦屋で療養し、1935年から大学を休職。1936年には東京に戻ったが、1938年に大学を退職し、河北総合病院などに入院。同年に41歳で早世した[4]。
著書
編集- 『哲学と経済』理想社出版部 1938年
- 『論理学初歩』冬書房 1948年
- 『実存哲学と唯物弁証法』三一書房 1948年
- 『論理学通説』理想社 1949年
- 『本多謙三選集 上巻 (実存哲学への道)』理想社 1949年
- 『本多謙三選集 下巻 (経済哲学序説)』理想社 1949年
- 『現象学と弁証法』三一書房 1970年
- 『現象学と唯物弁証法』こぶし書房 1997年
脚注
編集- ^ a b c 「実存哲学と唯物弁証法」三一書房出版年月日昭和23
- ^ a b 本多 謙三(読み)ホンダ ケンゾウ20世紀日本人名事典
- ^ 渡植彦太郎「左右田文庫に因みて」一橋大学社会科学古典資料センター年報
- ^ a b 吹田順助「故本多謙三君の業績」 Source Title
- ^ 関恒義「 ”技術論”をめぐる若干の問題」一橋大学一橋学会