本多正矩
江戸時代前期の大名。沼田藩主から初代田中藩主
本多 正矩(ほんだ まさのり、延宝9年9月4日(1681年10月15日) - 享保20年8月17日(1735年10月3日))は、江戸時代中期の大名。上野沼田藩第3代藩主、駿河田中藩初代藩主。正重系本多家6代。
旗本本多正方(初代藩主本多正永の弟)の長男。母は菅沼定賞の娘。正室は松野助義の娘。子は本多正珍(三男)、黒田直純(四男)、生駒親睦(七男)。官位は従五位下、豊前守。
正徳3年(1713年)8月、先代藩主本多正武の養子となり、享保6年(1721年)の正武の死去で跡を継いだ。享保8年(1723年)には奏者番となる。享保15年(1730年)7月、田中藩へ移封され、享保20年(1735年)8月17日に55歳で死去した。跡を三男の正珍が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 松野助義の娘
子女