本多正房
本多 正房(ほんだ まさふさ)は、江戸時代前期の越前国福井藩家老。通称賢物、源四郎、左近。高知席本多修理家初代。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永11年12月9日(1635年1月27日) |
死没 | 寛文11年11月15日(1671年12月16日) |
別名 | 通称:賢物、源四郎、左近 |
主君 | 松平光通 |
藩 | 越前福井藩家老 |
氏族 | 越前府中本多家(本多内蔵助家) |
父母 | 父:本多富正 |
兄弟 |
昌長、正房、布連、毛受吉久室 養兄弟:吉松 |
子 | 富敬、恒久 |
略歴
編集寛永11年(1634年)12月9日、福井藩家老・本多富正の庶子として府中にて誕生。慶安2年(1649年)父・富正の死去により、5000石の分知を受け、藩主松平光通に仕えて家老となる。寛文9年(1669年)本家の家督を継いだ甥・長員が幼少のため、陣代と後見を務める。
参考文献
編集- 東京大学史料編纂所「本多家譜」