本因坊伯元
本因坊 伯元(ほんいんぼう はくげん、1726年〔享保11年〕 - 1754年11月10日〔宝暦4年9月26日〕)は江戸時代の囲碁棋士、八世本因坊。本因坊秀伯門下、六段。本姓は小崎。
経歴
編集武蔵国幸手郡天神島村の生まれ。15歳で本因坊秀伯の門に入る。寛保元年(1741年)に秀伯が危篤となったため、家元会議で跡目に選ばれ、安井春哲仙角添頑で家督願いを出して認められ、秀伯死去で家督を相続。同年に御城碁初出仕、仙角に先番ジゴとする。寛保3年(1743年)には、林因長門入が名人碁所就位願いを出すが、仙角とともに反対し、断念にいたらせる。宝暦元年の御城碁で井上春碩因碩に先番3目勝ちし、これにより六段昇段したと伝えられる。
宝暦4年(1754年)4月に病に倒れ、井上春碩因碩が代理となって弟子の間宮察元を跡目とする願書を提出、寺社奉行からは一旦病気療養の命とともに差し戻されるが、8月に再提出し認められた。9月27歳で没する。法名は日浄。本妙寺に葬られる。御城碁は12局を勤めた。
御城碁戦績
編集参考文献
編集- 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年