本与板城
本与板城(もとよいたじょう)は、新潟県長岡市与板町本与板にあった日本の城。県指定史跡。
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別名 | 与板城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 籠沢入道? |
築城年 | 建武元年? |
主な城主 | 飯沼氏、直江氏 |
廃城年 | 1598年(慶長3年)頃? |
遺構 | 曲輪跡、堀切・土塁・井戸跡 |
指定文化財 | 県指定史跡[1] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯37度33分02.5秒 東経138度48分10.6秒 / 北緯37.550694度 東経138.802944度 |
地図 |
歴史
編集築城時期は不明だが、建武元年(1334年)に新田氏一族の籠沢入道が築城したと伝えられている。その後、越後国守護上杉氏の重臣飯沼氏が居城とした。しかし、永正4年(1507年)、越後守護代長尾為景と守護上杉房能が戦った「永正の乱」で、 飯沼氏は為景に攻められ滅んだため、長尾氏の家臣直江実綱(景綱)が城主となった。しかし、直江氏は御館の乱を契機に与板城に居城を移した[2]。本与板城は支城として機能したとも言われるが、上杉氏と共に直江氏が会津に転封されたため、廃城になったと推定されている。