木間瀬策三
日本の内務官僚、実業家
木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9日[1] - 1956年〈昭和31年〉12月10日[2][3])は、明治末から昭和期の内務官僚、実業家。官選富山県知事。
経歴
編集千葉県出身。従五位勲五等の官吏[3]木間瀬柔三の五男として生まれる。富山中学校で中学1年に在学[1]。第一高等学校を卒業[4]。1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し宗教局属となる[1][4]。
以後、三重県事務官、愛知県事務官、千葉県事務官・第二部長[5]、茨城県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、同県事務官・内務部長、新潟県内務部長、大阪府内務部長などを歴任[1][6]。
1915年(大正4年)8月12日、富山県知事に就任[7]。人望があつく、御大典行事の実施、熊野川・井田川・神通川水害復旧事業を推進[1]。1917年(大正6年)1月29日、知事を休職[8]。同年11月3日、依願免本官となり退官した[9]。
その後、実業界に転じ、安治川土地常務、山陽中央水電監査役、甲子園ホテル取締役、北辰協会取締役、日本活性白土社長などを歴任[1][6]。また、懐徳堂記念会常務理事を務めた[1]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。