木村 鋭市(きむら えいいち、1879年明治12年)5月26日[1] - 1947年昭和22年)7月21日[1])は、日本外交官。駐チェコスロバキア公使

経歴

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島根県出身。1906年(明治39年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業[2]1908年(明治41年)、外交官及領事官試験・高等文官試験に合格し、外交官補となった[2]外務省参事官ベルギー公使館三等書記官、フランス大使館二等書記官を務めた[2]1919年大正8年)、パリ講和会議全権委員随員を務め、帰国後は亜細亜局の課長となった[3]ワシントン会議でも全権委員随員を務め、1923年(大正12年)からアメリカ合衆国大使館一等書記官、同参事官を歴任した[3]1925年(大正14年)より亜細亜局長となり、1927年(昭和2年)に駐チェコスロバキア公使に転じた[3]

退官後の1930年(昭和5年)より南満州鉄道株式会社理事となり、また第一次日蘭会商代表顧問を務めた[3]

その後、忠清工業株式会社社長、台湾拓殖株式会社顧問を務めた[3]

著書

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  • 『日本海を中心とする満蒙問題』(山陰時代社、1933年)
  • 『爪哇みやげ』(日本海時代社、1935年)
  • 『世界大戦と外交』(日本電報通信社、1941年)

脚注

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  1. ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  2. ^ a b c 大衆人事録 1930.
  3. ^ a b c d e 人事興信録 第12版(上) 1939.

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
先代
出淵勝次
外務省亜細亜局長
1925年-1927年
次代
有田八郎