木下伊平
木下 伊平(きのした いへい、前名・辨一郎[1]、1872年(明治5年)2月6日[2] - 没年不明)は、日本の農民、林業家、資産家[3][4]、和歌山県多額納税者[1][5][6][7][8]。族籍は和歌山県平民[1][9]。
経歴
編集和歌山県・木下伊平の長男[1][5][9]。1904年、家督を相続し前名・辨一郎を改める[5][10]。祖業を継ぎ農業、林業を営み[5][10]、県下の多額納税者である[5]。1937年、退隠する[11]。
人物
編集県下有数の山林業者である[8]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[2]。趣味は茶道、生花[10]。住所は和歌山県伊都郡妙寺町[1](現・かつらぎ町)、京都市上京区丸太町橋西詰南入[10]。
家族・親族
編集- 木下家
木下家は和歌山県妙寺町の資産家で、数代以前迄は屋号を「木綿屋」と称し木綿商を営んだが、その後これを廃して植林を営み農業に従事する[5][10]。
- 父・伊平(和歌山平民)[1]
- 母・カツ(1848年 - ?、和歌山、木下佐助の長女)[1][9]
- 妻・さわ(1879年 - ?、兵庫、堀謙治郎の養子[9]、堀真一の養姉[10])
- 長女・さだ(1902年 - ?、大阪、西尾與右衛門の妻)[10]
- 二女・ひろ(1905年 - ?、奈良、北村謹次郎の妻)[10]
- 三女[9]
- 長男・伊平(1907年 - ?、前名・篤一郎、和歌山県多額納税者、農林業)[11] - 宗教は真言宗[11]。住所は京都市上京区丸太町橋西詰南入[11]。
- 二男[9]
- 妹[1][5]
- 親戚
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第6版』き16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月6日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』498頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月6日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月7日閲覧。
- ^ 『黄金万能』115頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第8版』キ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月6日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第16版』全国多額納税者 和歌山県19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月19日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 和歌山県64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月6日閲覧。
- ^ a b 『大正人名辞典』864頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』き14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第11版 上』キ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月7日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第13版 上』キ7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月7日閲覧。
参考文献
編集- 『日本紳士録 第16版』交詢社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 西原芳外『黄金万能』地上社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
外部リンク
編集- 木下家(木下伊平の子孫・家系図) 2024年4月閲覧