朝隈 善郎(あさくま よしろう、1914年(大正3年)1月7日 - 2008年12月22日)は、日本陸上競技選手及び陸上競技指導者。

経歴・人物

編集

秘話

編集

朝隈善郎の愛弟子で有名なのは、日本人で初めて走幅跳で8メートルジャンパーになった山田宏臣であるが、京都知恩院で朝隈は来る日も来る日も山田に知恩院の石段を往復させるトレーニングを課した。師弟の、余りにもその前近代的なトレーニング方法には疑問視する向きもあったが、山田自身はその批判に開き直ったと後に回想している。

1970年(昭和45年)6月7日神奈川県小田原市小田原市城山陸上競技場で開催された実業団・学生対抗陸上大会で、山田宏臣は8メートル01を跳び、日本人で初めて8メートルジャンパーになるが、その際、朝隈善郎は「俺が行くと山田はいいジャンプが出来ないだろう」と思い、小田原へ足を運ばなかった。
京都の自宅で山田が8メートルを跳んだことを知らされた朝隈は「よく頑張ってくれた。有難う」と感涙に咽んだという[6]

  • 現役時代は大変な美男子で『陸上界の長谷川一夫』の異名をもっていた。本人は『銀座を歩けばすぐ女性ファンに取り囲まれてかなわん。』とうそぶいていたと言う、そのイケメンぶりはベルリン五輪記録映画『民族の祭典』でかいま見る事ができる。

主な役職

編集

賞詞

編集

朝隈善郎を演じた俳優

編集

脚註

編集
  1. ^ 広島陸上人”. 一般財団法人広島陸上競技協会. 2021年12月8日閲覧。
  2. ^ 1927年 - 明治大学体育会競走部
  3. ^ 70年昔のこと、記憶は?=曽根さんら近く「来伯陸上選手団」を調査に
  4. ^ 浅尾忠男『ミュンヘンへの道 采谷選手物語』鳩の森書房、1972年、101頁
  5. ^ 京都新聞|09全国女子駅伝
  6. ^ 『ペルソナα ~伝えたい昭和の心~』/2005年10月29日放送 NHK総合テレビより

外部リンク

編集