有村連
明治から大正期の養蚕家、政治家
有村 連(ありむら むらじ、1855年5月23日(安政2年4月8日[1])- 1931年(昭和6年)8月29日[2])は、明治から大正期の養蚕家・政治家。衆議院議員。
経歴
編集大隅国[1]桑原郡粟野郷木場村[3](鹿児島県[2]粟野郷木場村、栗野村、姶良郡粟野村[1][4]、栗野町[3]を経て現湧水町)で、蚕業を営む有村家に生まれた[1]。漢学を修めた[2][4]。薩摩藩兵小頭を務めた[1]。私学校で学び西郷隆盛の薫陶を受け、西南戦争に従軍[3]。
1885年(明治18年)粟野郷戸長に就任[1][2][3][4]。鹿児島県会議員に選出され3期在任[1][2][4]。その他、鹿児島県郷教教授、学務委員、鹿児島授産学校長などを務めた[1][2][4]。
河島醇の辞職に伴い、1897年(明治30年)7月に実施された第4回衆議院議員総選挙鹿児島県第5区補欠選挙で初当選し[5]、その後、第6回総選挙まで再選され[6]、最後は立憲政友会に所属し、衆議院議員に連続3期在任した[2][4]。
鹿児島県内の養蚕業の振興に尽力した[3]。
国政選挙歴
編集- 第4回衆議院議員総選挙補欠選挙(鹿児島県第5区、1897年7月)当選[5][7]
- 第5回衆議院議員総選挙(鹿児島県第5区、1898年3月、同志倶楽部)当選[6]
- 第6回衆議院議員総選挙(鹿児島県第5区、1898年8月、無所属)当選[6]
- 第7回衆議院議員総選挙(鹿児島県郡部、1902年8月、無所属)落選[8]