有本 楠太郎[1](ありもと くすたろう、1862年5月19日文久2年4月21日[2] - 没年不明)は、日本商人皮革貿易商)、政治家。有本商店店主[3]大阪市南区会議員[4]

経歴

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和歌山県有田郡御霊村字庄(のち吉備町、現・有田川町)の農家に生まれる[2][4]。15歳の時に大阪に出て、奉公先に住み込み、25歳の春までよく主家に勤める[4]。独立して皮革貿易店を開業する[4]

家業に精励し成功する[4]。博愛慈善に傾倒する[4]1892年赤十字社終身社員に加入し、1905年に金200円を寄付し特別社員に推薦される[2]。赤十字社特別社員としてよく奉公の義務を尽くす[4]日露戦役に際して殊に恤兵の事に意を用いて各種の公共的団体に金品を投じる[4]

中国及び朝鮮と特約貿易を行い、仁川木浦群山京城馬山等より原料を輸入し、これを精製して南北清の各要地、即ち天津大連上海営口香港等に取引を開始する[4]

人物

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寺田蘇人の著書『部落の人豪』で、大阪市部落の富豪として有本楠太郎の名前が挙げられている[5]

住所は大阪市南区西浜南通3丁目[2](現・浪速西[6])。

家族

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有本家
  • 長男・楠太郎1894年 - ?、前名・繁楠、皮革商、家主[7]) - 1913年家督を相続する[7]。住所は大阪市浪速区西浜南通3丁目[7]。『商工資産信用録 第37回 近畿版』には「職業・貸家貸金、調査年月・1936年8月、正身身代・J、信用程度・A」とある[8]

脚注

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  1. ^ 『大日本紳士鑑』265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  2. ^ a b c d 『赤十字名鑑 博愛慈善 第1輯』12 - 13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  3. ^ 『日本工業録 第4版』あ443頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 『成功亀鑑』189 - 190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  5. ^ 『部落の人豪』119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  6. ^ 『摂津役人村文書』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  7. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』ア202頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。
  8. ^ 『商工資産信用録 第22回』大阪府あ之部288頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月11日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 横田文之助編『赤十字名鑑 博愛慈善 第1輯』赤十字名鑑編纂所、1906 - 1907年。
  • 亀谷伴吉編『成功亀鑑』成功亀鑑編纂所、1907年。
  • 小島一行『日本工業録 第4版』工業雜誌社、1911年。
  • 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 『商工資産信用録 第37回 近畿版』商業興信所、1936年。
  • 編集解説者 盛田嘉徳『摂津役人村文書』大阪市浪速同和教育推進協議会、1970年。