最上満直
最上 満直(もがみ みつなお)は室町時代前期の出羽国の武将・大名で山形城主。最上氏第3代当主。
時代 | 室町時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 応永20年8月3日(1413年8月25日)[1] |
戒名 | 法祥寺殿念叟親公大居士 |
墓所 | 山形県山形市七日町の法祥寺 |
官位 | 修理大夫[1] |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 最上氏 |
父母 | 父:最上直家、母:伊達宗遠の娘 |
兄弟 | 満直、天童頼直、黒川氏直、高櫛義直、蟹沢兼直、成沢兼義 |
妻 | 正室:蘆名詮盛の娘 |
子 | 満家、中野満基、大窪満直、楯岡満国 |
生涯
編集応永17年(1410年)、直家の死去に伴い跡を継ぎ最上氏第3代当主となるが、治績についてはあまり明らかにされていない。
系図からは、中野(山形市)、大窪、楯岡(村山市)に子息を配置し、支配域を拡大したことが窺える。
高野山過去帳では応永20年(1413年)に死去したとされるが、『寛永諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』などは応永31年(1424年)死去とあり定かではない。
菩提寺は応永20年(1413年)に創建された法祥寺。
周辺系図
編集寒河江氏娘 | |||||||||||||||||||||||
蘆名詮盛 | 娘 | ||||||||||||||||||||||
最上満家 | |||||||||||||||||||||||
最上直家 | 満直 | ||||||||||||||||||||||
中野満基 | |||||||||||||||||||||||
伊達宗遠娘 | |||||||||||||||||||||||
大窪満直 | |||||||||||||||||||||||
伊達政宗 (大膳大夫) | |||||||||||||||||||||||
楯岡満国 | |||||||||||||||||||||||
脚注
編集参考文献
編集- 東京大学史料編纂所『大日本史料』
- 『山形市史』