曽璧光
曽 璧光(そう へきこう、Zeng Biguang、1795年 - 1875年)は、清の官僚。字は枢垣。四川省洪雅県出身。
1850年(道光30年)に進士となり、庶吉士に選ばれ、編修となった。1859年(咸豊9年)に貴州省鎮遠知府となり、1862年(同治元年)に貴東道となった。1863年(同治2年)には銅仁県で蕭文魁の蜂起を鎮圧した。雲貴総督の労崇光に評価され、按察使、布政使と昇進していった。
1867年(同治6年)に貴州巡撫となった。当時の貴州省ではミャオ族の蜂起が発生して久しかったが、曽璧光は四川軍と席宝田率いる湘軍と協力して、一つ一つ拠点を陥落させ、1873年に全省を平定した。1875年(光緒元年)、在職のまま死去。
出典
編集- 『清史稿』巻420・列伝207
|
|