春風亭栄枝
春風亭 栄枝(しゅんぷうてい えいし)は江戸・東京の落語家の名跡。代数や詳細が不明な点が多い。現在は空き名跡。
- 初代春風亭栄枝 - 後∶二代目春風亭柳枝
- 二代目春風亭栄枝 - 後∶二代目春風亭柳朝
- 三代目春風亭栄枝 - 詳らかならず
- 四代目春風亭栄枝 - 詳らかならず
- 五代目春風亭栄枝 - 後∶九代目司馬龍生
- 春風亭栄枝 - この間にもいたと思われるが詳細不明
- 六代目春風亭栄枝 - 後∶春風亭橋之助
- 七代目春風亭栄枝 - 本項にて記述
七代目 Shumpùtei Eishi the 7th | |
中陰光琳蔦(画像は中陰蔦)は、林家彦六一門の定紋である。 | |
本名 | |
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生年月日 | 1938年9月16日 |
没年月日 | 2022年2月9日(83歳没) |
出身地 | 日本・東京府東京市豊島区西巣鴨 |
死没地 | 日本・東京都 |
師匠 | 八代目春風亭柳枝 林家彦六 |
弟子 | 春風亭百栄 |
名跡 | 1. 春風亭枝二 (1957年 - 1959年) 2. 林家枝二 (1959年 - 1983年) 3. 七代目春風亭栄枝 (1983年 - 2022年) |
出囃子 | 吉原雀 |
活動期間 | 1957年 - 2022年 |
配偶者 | あり |
所属 | 落語協会 |
七代目 春風亭 栄枝(1938年9月16日 - 2022年2月9日)は、東京都豊島区出身の落語家。落語協会所属。本名∶天津 征。出囃子は『吉原雀』。
経歴
編集1957年3月に京華高等学校卒業後、1957年10月に八代目春風亭柳枝に入門。前座名は「枝二(えたじ)」。1959年10月、師匠柳枝死去。1959年12月に柳枝が死去したため八代目林家正蔵一門に移籍。「林家枝二」と亭号を改める。
1960年8月に二ツ目昇進。
1973年3月に三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、柳家さん吉の十名で真打昇進。1982年1月に師匠彦六が死去。1982年2月、『笑点』(日本テレビ)の師匠彦六追悼特集に、兄弟子二代目橘家文蔵、弟弟子初代林家木久蔵(現:林家木久扇)、林家九蔵(現:三遊亭好楽)と共に出演。
1983年7月に七代目春風亭栄枝襲名。
1999年4月に『TXNニュースワイド 夕方いちばん 〜金曜かわら版〜』(テレビ東京)にコメンテーターとしてレギュラー出演。1999年10月、『TXNニュースアイ 〜春風亭栄枝の金曜かわら版〜』(テレビ東京)にレギュラー出演。政治・経済・事件などをテーマに、毎週、世相を斬る狂歌を披露。2000年1月に『TXNニュースアイ 〜春風亭栄枝の狂歌でガツン!〜』とタイトルを変えてレギュラー出演。小泉純一郎、田中眞紀子、鳩山由紀夫、土井たか子ほか多くの政治家や著名人への単独インタビュー取材を行う。
芸歴
編集人物
編集逸話
編集弟子入りに親を呼んで来いと言われた時に、師匠の前で学校の校長をしていた父親が「落語家風情…」と言ってしまい、後で師匠に笑われたという。
師匠彦六の怪談噺を怖がらない子供達を見て、寄席にハードロックのKISSを呼ぼうとしたが未遂に終わった。若手の頃、花見の席でベイ・シティ・ローラーズの『サタデー・ナイト』を延々とかけていた。
枝二時代は稲荷町の正蔵宅の水撒きが当番。夕立のあとにも水を撒いたという。
新婚旅行で永平寺に出かけ、妻にいいところを見せたくて勝手に鐘を鳴らしたら、たくさんの住職に連れて行かれ3日間お寺の牢に幽閉された[5]。
著書
編集- 『蜀山人 狂歌ばなし 江戸のギャグパロディーの発信源』(1997年、三一書房、ISBN 4380972356)
弟子
編集出典
編集- 諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』(平凡社、ISBN 458212612X)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “春風亭栄枝 訃報”. 落語協会 (2022年2月16日). 2022年2月16日閲覧。
- ^ 「落語家・春風亭栄枝さんが死去 83歳 「蜀山人狂歌ばなし」」『朝日新聞DIGITAL』2022年2月16日。2022年2月16日閲覧。
- ^ 「落語家、春風亭栄枝さん死去 83歳」『サンスポ』2022年2月16日。2022年2月16日閲覧。
- ^ 「落語家の春風亭栄枝氏が死去」『産経ニュース』2022年2月16日。2022年2月16日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/jackcoke21/status/1493877483661578244”. Twitter. 2022年2月16日閲覧。